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「既に社会的分断が生まれているわけです。 僕のよう...」の会話スレッドまとめ

既に社会的分断が生まれているわけです。

僕のように「過渡期だし、前日に電話一本入れて調整しておく程度の妥協はしてもいいのではないか」と考える「世俗派・折衷派」と「いや、健常者は前日に電話したりしないのだから、同じであるべきだ」という(ある種の)「原理主義」の間で分断が発生している

ひとつ気になるのは「問題提起だからいい」と主張する人たちは結局、「問題提起のために意図的に電話連絡をしなかった」ことを是としてるわけですよね。
すると、むしろ現場の労働者に同情的な人たちが現れるのもそれは仕方ないということなんですかね。分断上等、みたいな?

バリアフリー推進を加速させようという問題提起が、現場の駅員を虐めてるだけととられては何にもならないんじゃないですかね。

問題は確かに存在するんですよ。それは間違いない。ただ、その負担が誰にいくかというと現場労働者なんですよね。

佐々木俊尚さんが最初から言ってることだけど

「殴り掛かる相手が違うだろ」というのがこの件の根幹にありますよね。何の決定権もないし抵抗できない弱い立場の労働者に理不尽に殴り掛かったことへの不当感が論調を決定した感があります。

バリアフリー法が制定されて予算が投入されても、今なお多くのバリアがあることは事実だし、それはいずれ解決しなければならないことだけど、現実的に考えるならそれを実現するには法律とカネ。末端の労働者に殴り掛かって法律やカネが湧いて出るんですか、労働者はその為の捨て石ですかという話で。

「殴り掛かる相手が違うだろう」という不当感を無視するのってやっぱり違うと思うんだよ。末端の労働者だって理不尽で不公平な世の中で精一杯頑張って生きているのに、社会問題の解決を図る道具としていつも捨て駒にされるのは何の決定権もない末端の労働者じゃないか。

カネと法律を動かす力を持っている為政者を動かす為に、いつも殴り掛かられるのは何の決定権もないしモンクレに抵抗する権利もない末端の労働者だろう。「おまえらは差別主義者だ不当な生を貪っている」と罵倒され断罪される。なんで平凡な生活者の生の尊厳を平気で犠牲にできるんだ。

なんでその辺のボンクラな凡人が、誰かの目的達成の手段として理不尽に殴られることの不義を易々と無視できるんだ。どんなボンクラだって頑張って生きているんだから、生の尊厳を理不尽に踏みつけにされたくないってそれだけの話じゃないのか。

世の中には大変な人がたくさんいるんだから、ボンクラな凡人は理不尽に殴られても踏みつけにされても我慢しろというのも、障碍者は大人しく社会に迷惑掛けないようにしておれと同じこと言ってませんかね。

ボンクラな凡人だって、理不尽に殴り続けられたら死ぬんですよ。それはどうでもいいんですか。

ボンクラな凡人の健常者は五体満足だから理不尽に殴り続けられて死んでもかまわないんですか。この問題、結局そこじゃないんですか。

今なお社会には問題が山積していてその辺に無数のバリアが残ったまんま、あわよくばそんなもん無視して現状維持でいきたい、そういう為政者のゲスな腹づもりなんか百も承知ですよ。でもそんな社会を動かす道具として殴られるのは、いつも何の力もない無力な底辺労働者じゃないですか。

無力な底辺労働者って、為政者と社会的弱者のパワーゲームの道具として殴られたり踏み潰されたりしてもいい捨て駒なんですか。そういう没義道が罷り通ることをあなたは何とも思ってないわけですね、というのが本件の核心じゃないんですかね。

電車通勤していれば、朝な夕なに駅員さんが車椅子ユーザーの乗車補助や視覚障碍者の誘導を丁寧にやってるのを目撃しているわけじゃないですか。そんなふうに、不足もいいところだろうけど現状のルールの中で底辺の労働者は真面目に頑張って対応しているわけじゃないですか。

それを、乗客のクレームに抵抗できないのをいいことに殴り掛かって痛めつけて晒し者にして断罪する。それって労働者のさらに上にいる経営者やもっと上にいる為政者を動かすための道具にしているわけでしょう。そんなふうに平凡な労働者の尊厳を踏みつけにしていいのかってのが問題なんでしょうが。

何がそんなに腹が立つと言って、この手の社会活動って本来は決定権を持つ資本家や社会を変える力を持つ為政者との闘争のはずなのに、いつもいつもその道具として消費されるのが普通に頑張って働いている末端の凡人労働者の理不尽な犠牲だってところなんじゃないですかね。

なんでオレがしつこくこの件に拘っているのかと言ったら、普通に真面目に働いている末端労働者の生の尊厳みたいなものを、社会的弱者の権利闘争の道具にして踏みつけにしていることを些末な犠牲として無視する姿勢が我慢できないからなんですよ。

今の鉄道会社の職員さんが理不尽なクレームに晒されても我慢して働いて生きているのは、そういうささやかな生の尊厳があるからでしょう。自分の仕事に誇りや意義を感じているからでしょう。そういう物凄く大事なものを踏み潰しているのに、なんでそれはどうでもいいと思えるんですか。

社会の歪みや過不足に対する権利闘争で、なんでいつもそういう末端で懸命に働いて生きて生活を支えている生活者が道具として消費されなければならないんですか。五体満足で働いていたら、そうでない人の為に理不尽に殴られても耐えなければならんのですか。

今の過酷なご時世では、五体満足だというだけではそこまでの犠牲を甘受できる余力は普通の一般人にはないって話をしているんですよ。この話、そんなに興味がないんですか。社会を支える大多数の凡人が生きていくための最低限の尊厳を否定してどうするんだって話をしているんですよ。

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  2. 石部統久
  3. 2021/04/07 11:45:53 公開
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