「大学院の頃の同室の同期で、Aさん...」、@oxomckoe さんからのスレッド
大学院の頃の同室の同期で、Aさんという語学力で生計を立てている少し年配の院生がいた。非常勤講師職を更新するのに修士が必要になったということで大学院に入学してきた。英仏独西伊露と僕が確認できた範囲で6ヶ国語できた。僕が出会った段階では留学歴はおろか海外渡航歴もなかったのだから吃驚。
彼は法学部を卒業後、語学の非常勤講師、外国人旅行者の観光通訳、家庭教師、裁判所や警察の通訳で食べていた不思議な人だった。ただご本人に才能がありすぎて、教えるのはどうだったんだろう。僕は彼に英語の文法書でフランス語を習ったがぜんぜんわからなかった。
彼が海外渡航をしたのは、D1のドイツ旅行だったはず。まったく快適な一人旅だったそうな。ただ、確か博士論文はとうとう出せなかったような記憶がある。お元気でやっているだろうか。
当然僕は、勉強法を聞いたのだけど、要するに①現在出版されている語学教材を全部やる、②その言語で本を読みまくる、の2点。参考になった。諦める上での参考になった。
別の大学院同期同室には、Mさんという開業歯科医がいた。歯学部で歯科医師免許を取り、医学研究科で睡眠の研究で医学博士を取得していた。これからの医療訴訟を視野に医事法の学位を取るために法学研究科にきていた。彼は道警の監察歯科医師と医学研究科で法歯学の非常勤講師もしていた。異能だった。
別の大学院同期同室にはTさんというこれは完全に老人がいた。一橋大学の経済学部を卒業し東大法学部に学士入学して法学部も卒業。電力会社に長く勤めて退職後に北海学園大学の経済学研究科で修士、北大法学研究科で修士、博士は取れずに時間切れだったが、後に早稲田の政経院に進学した。現在は不明。
確か彼の弟さんは、東大法学部を卒業して文部省(当時)のキャリア官僚になっていて、僕が出会った頃は、関東の私大で天下り教授をしていたはず。幼稚園の送り迎えのように奥さんの運転する車の乗って登下校していた。満州事変の頃の日本の大陸政策を研究していた。
結局、あの魑魅魍魎の部屋で一番威張っていたのは僕だったのだけれど、遅れてはいったSさん(中国刑法)と後の板橋さんの奥さん(民法)が学者としては一番格式が高いところに収まった。すなわち前者は阪大教員、後者は北大教員。牢名主の僕は長万部抑留9年過ごして東京へ。