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「#いやなトリビア 「カノッサの屈...」、@rUyaCVtIiRxgC9M さんからのスレッド

#いやなトリビア

「カノッサの屈辱」でハインリッヒ4世を破門して土下座させた教皇グレゴリウス7世
後日、彼はハインリッヒの軍にローマを占領され、ローマ市内の要塞に籠城していたら目と鼻の先で対立教皇によるハインリッヒの戴冠式を挙行された。

人類史上最強の煽りっぷりだと思う。

#いやなトリビア 「カノッサの屈辱」でハインリッヒ4世を破門して土下座させた教皇グレゴリウス7世 後日...

なお、教皇の救援に来たノルマン人がローマ市を略奪し、教皇を見捨てた不埒なローマ市民を奴隷として売り払った。

ハインリッヒ軍は、ノルマン人が来る前にローマから引き上げていたけどな(´д`|||)

#いやなトリビア

グレゴリウス7世を救出した「狡猾なロベール」は、過去に教皇領を略奪し3重に破門(3回ではない)されたが全く気にせずに教皇派の貴族をフルボッコしまくっていた。
教皇が「もう勘弁して(;´Д`)」と破門を解除したので、教皇に忠誠を誓う。
もちろん、奪った領土は返さなかった。

#いやなトリビア

第1回十字軍がエルサレムで大虐殺を行ったことは有名だが、おかげでエルサレム王国建国後しばらくは国民=兵士という超軍事国家だった。
後に巡礼者から移民を募ったり、周辺の異教徒を無理やり領民にしてなんとかして国家運営ができるようになる。

なお、周辺のイスラム教徒の村や町を武力で従えて領民にしたが、改宗を強要はしなかったのでエルサレム王国の領民は大半が異教徒である。
というか、歴代エルサレム王は割と異教徒の領民にも慕われている。
お前ら(十字軍騎士)はそれでいいんか(;´・ω・)?

#いやなトリビア

江戸幕府がいわゆる「鎖国」をしていたことは有名だが、幕府の海外交易を統制する長崎奉行所には

中国商人「オランダくんがぼくたちの貿易船を襲って奪いましたぁ~弁償してくださ~い(帰りの会っぽく」
オランダ商人「何時何分何秒地球が何回まわった時ですか~(煽り」(続く

中国人「てめーらのその船、うちのジャンク船じゃねーか(おこ」
オランダ人「・・・ぐぬぬ」
長崎奉行「ところで中国くん。君のとこの船(暫定)に積まれていた大量の火薬はなんなのかね?(マジトーン」
中国人「・・・ワタシ、ニホンゴワカリマセーン?」
というたいへん愉快な裁判の記録がある。

日本向けの中国船(なぜか、不自然なまでに大量の火薬が積んである)を偶然通りかかったオランダ船が行き掛け駄賃に襲撃し、乗員を皆殺しにした後そのまま長崎まで行って積み荷を売ろうとしたらしい。
最終的に、不審な火薬の件がネックになり「海賊事件など初めから無かった」で一件落着(?)した。

#いやなトリビア

日中戦争序盤で首都南京を失った国民党政府は、色々あって四川省の重慶に居を定めた。つまり三国志の蜀と同じ天険の地に籠ったのだ。
日本陸海軍は(陸路で攻め込むのは無理なので)、重慶に対し戦略爆撃を仕掛けたが、そのさい「中国の街は木造建築が多いから」と焼夷弾を多用した。

どこかで聞いた話だな(;´Д`)

#いやなトリビア

日本陸軍航空技術研究所は「特攻作戦は技術者の恥だ!」と奮起し、1944年春から僅か1年で日本初の誘導空対艦ミサイルを実用化した。
本土空襲でもはやこの新兵器を量産できる状況ではなかったのだが(。´Д⊂)

開発中に旅館の女湯に誤爆して「エロ爆弾」というあだ名がついたとか。

#いやなトリビア

ナチスドイツに侵略された可哀想なポーランドくんだが、ヒトラー政権がバリバリ軍備拡張する前はヨーロッパでもソ連・フランスに次ぐ陸軍国としてぶいぶい言わせていたし、クソザコナメクジなワイマール共和国とか割と小バカにしていた。

ドイツの再軍備って、かなり無茶なペースだよな(;・ω・)

仮に、地理的環境をガン無視して1930年初頭に日本陸軍とポーランド軍が満州あたりでガチンコしたら、日本軍は負けると思う。

#いやなトリビア

サハラ砂漠以南のブラックアフリカは古くからローマ人やアラブ人と交易をしていた。
アフリカ側の輸出品は、黄金・象牙・黒檀・毛皮や鳥の羽・奴隷etc.
輸入品は鉄・岩塩・布・陶器・子安貝(貨幣に使う)等々

黒人奴隷一人の値段は、時代にもよるが岩塩70kgほどが相場らしい。

高いのか安いのかよくわからん(。´・ω・)

#いやなトリビア

10世紀半ば、イングヴァールという名のノルド人(ヴァイキング)がおよそ30隻の船団を率い、ドニエプル河を遡り、カフカス山脈を(船を担いで)越えカスピ海まで到達した記録がある。
一行は大冒険の末に帰路に疫病で壊滅。悲劇的な大冒険はサガとして遠くアイルランドまで語り継がれた。

#いやなトリビア

ボーイング、エアバスと並ぶ世界三大飛行機メーカー「ロッキード」も、WW2前は手造りでちまちま受注生産する零細企業
そんなロッキード社の「スーパーエレクトラ」をいたく気に入り、エアラインの主力として飛ばしたのが大日本帝国であり、日本陸軍もライセンス生産していた(続く

それは良いのだが、世界大戦がはじまるとアメリカ軍やイギリス軍も高速で使い勝手の良いスーパーエレクトラやその派生型を大量に使用したため、太平洋戦争では敵味方が同じ飛行機を使って大混乱が起きた。
何せ、見た目もエンジン音もそっくりで区別がつかないので同士討ちが多発したのだ(;´Д`)

#いやなトリビア

国民革命軍は軍閥ごとに程度の差はあるが、なかなか近代的な装備を有していた。
日本軍にボロ負けしたのは砲兵火力の差と、蒋介石が現場の師(師団)長レベルに直接電話してあれをしろ、あそこへ行けと命令する悪癖のせいである。
ヒトラーでもそこまで余計なことはせんぞ( ´△`)

#いやなトリビア

スペイン内戦ではファシズムと戦うために世界各地から義勇兵が集まり、人民戦線側で活躍した。
義勇兵たちは入国時に国際義勇兵の身分証と引き換えにパスポートを提出させられ、その大半は戻ってこなかった。
国際義勇兵を主導したのがソ連であることは、当時から公然の秘密だった。

#いやなトリビア

某Fateシリーズでお馴染みの「山の翁」だが、彼らのモデルである暗殺教団は地元では超嫌われていた。

どのくらい嫌われていたかというと、モンゴル軍が暗殺教団を根絶やしにすると地元民(当然イスラム教徒)が「やっとあのキ〇ガイカルトがいなくなった!!」と大喜びしたぐらい。

#いやなトリビア

1946年4月のある日、GHQのフランク大佐は警察予備隊の林総監より
「今の警察予備隊は、眼にスピリットがない (# ゚Д゚)」
と真顔で相談され困惑した。
「帝国陸軍の軍人精神が~」
「天皇陛下への忠誠に代わる精神の柱が~」
とまじめに相談されてふんふんと聞いているうちに(続く

「言われてみれば、うちの国にもフロンティアスピリッツがあるもんな(´・ω・)」
「太平洋戦争で日本兵があんなに頑張れたのは、天皇陛下への忠義が根付いていたからか(`・ω・´)」
となんとなく言いくるめられてしまったフランク大佐だが、今更「天皇の軍隊」に逆戻りされても色々と困るので(続く

ブシドーではどうだろうか?とかいかにもアメリカ人っぽいことを言いつつ、最終的に「国民の警察予備隊」というなんか聞いたことがあるフレーズで以後は警察予備隊の精神教育を充実させていくことに落ち着いた。
林総監的には
「もっと陛下への尊敬と親しみを(;´・ω・)」
という感じだったらしいが。

#いやなトリビア

米軍のレーションがクソ不味いのは有名だが、WW2でもやはり不味かった。
どれくらい不味いかと言うと、日本軍から鹵獲した牛缶(牛肉の大和煮)が米兵の間で争奪戦になるくらい不味かった。

なお、日本軍の牛缶というか携行食が割りと美味だったのは味の素のおかげだとかなんとか(ガチ

捕捉説明していただいた(*´ω`*)
やったぜ!

#いやなトリビア

太平洋戦争の初戦では領土侵犯した日本軍と果敢に干戈を交えたタイ王国だが、日本軍が快進撃を続けるのを見て
「日本の兄弟!一緒に英領ビルマを白人から『解放』しようぜ!」
とノリノリでビルマ遠征軍とか編成しだしたので、日本側にすごく迷惑がられていた。(続く

日本軍としてはタイ軍とか足手まといになる気しかしないので迷惑だったのだが、最終的には大本営から
「ビブーン首相(当時のタイ首相)の面子に配慮せよ。」
「陛下は友邦たる暹羅(タイ)に気を使っておられる。」
ということで、担任区域を分けて一緒にビルマに侵攻している。

#いやなトリビア

民族大移動で地中海を半周しカルタゴに落ち着いたヴァンダル族(青いルート)の覇王ガイゼリックは、「永遠の都」ローマに攻め込む前にローマ教皇と東ローマ皇帝に硬軟織り混ぜた事前交渉を行い、
・ローマ市は無血開城する
・ローマ市街を破壊しない
・ローマ市民を傷つけない
と(続く

取り決めた。
不安げな市民の前に現れたヴァンダル族の大艦隊は取り決めた通り礼儀正しく徹底的に略奪を行い、最後にローマの皇族・貴族を人質として連れ去った。
ガイゼリック的には
「市民を傷つけていないからセーフ」
だったようだ。
なお、連れ去らるた皇女の一人は彼の息子と結婚させられた。

#いやなトリビア

あんまりにもやりたい放題しているので1074年の公会議で教皇に破門され、さらに反ロベール十字軍(このころはまだ十字軍という概念はないけど)までかまされていた「教皇の騎士」ロベール・ギスカール(狡猾なロベール)に対し、聖職叙任権闘争で(続く

教皇と敵対中のハインリッヒ・雪中土下座・4世が同盟を持ち掛けた時、ロベールは
「はぁ?うちら教皇猊下の忠実なしもべなんすけど?異教徒と戦うのに神のご加護があったのも神の代理人である教皇猊下のおかげなんだから、教皇に反抗するとかマジありえねっすよ(意訳」
とお前何言ってんだ的な(続く

返書を送り、同盟の呼びかけをにべもなく断っている。
繰り返すが、ロベールは教皇に破門され、教皇が招集した軍勢と戦っている(というか一方的にフルボッコしている)最中である。

8年後にハインリッヒ4世がローマに攻め込み、籠城するグレゴリウスの目の前で神聖ローマ皇帝の戴冠式を(続く

行うと、教皇派とうとう折れてロベールに救援を乞い、ギリシャ遠征(ビザンツ帝国とヴェネチア艦隊をボコボコにしていた)からとんぼ返りしてきたロベールは(ハインリッヒ4世がロベール軍と戦うのが嫌なのでさっさと本国に引き返したからもぬけの殻な)ローマを解放して教皇を救出した。(続く

教皇が死ぬまで彼に頭が上がらなかったのは言うまでもないだろう。

ロベール・ギスカールは70歳まで長生きし、自らの墓には
「ここに世界の恐怖ギスカール眠る。」
と刻ませた。

イスラム教徒もローマ教皇もビザンツ皇帝もヴェネチア海軍も撃破したリアル国士無双だから、大言壮語とも言い切れない。

#いやなトリビア

モンゴル帝国が一時期ユーラシア大陸の大半を征服したことは有名だが、その全盛期のモンゴル皇帝に面と向かって
「カトリックに改宗しないと地獄に堕ちるぞ (# ゚Д゚)」
と説法をかましたロックな修道士が居た。

あまりにもロック過ぎて、逆に皇帝のお気に入りの論客となったとか。

#いやなトリビア

96式陸攻とか作ったものの
「双発機だとやっぱり限界があるから、4発大型攻撃機が欲しいよな」
と考えた帝国海軍
身の程は弁えているので、まずはお手本に世界のダグラス社から最新の4発大型旅客機を購入。それをベースに手堅く開発を進めた。
なお、駄作機を掴まされたもよう(;´Д`)

DC-4(ダメな子のほう)は重量過多とか油圧計がダメダメという話は読んでましたが、発動機までダメな子だったとは知りませんでした(;゚Д゚)

他の方のツイートを読んで、確かに「駄作機を掴まされた」は不適切な言い方だなと反省

#いやなトリビア

ドイツ軍かな?
違います、中国軍です!!

中華民国の国民革命軍は軍閥ごとに装備も訓練もバラバラだが、蒋介石子飼いの中央軍は日中戦争序盤はドイツ式装備で固めていた。
機関銃とか対戦車砲の性能は日本軍よりも良かったとか。

まあ、色々あって最終的には米式装備に落ち着く。

なお、国民革命軍は輸入機中心だが航空隊も割と充実しており、特にカーチス系の機体を好み日中戦争でも日本軍機とバシバシやりあったり渡洋爆撃してきた96式陸攻に大打撃を与えて帝国海軍が青い顔をしたりしていた。
・・・ゼロ戦がデビューするまでは(`・ω・´)

大戦後半になると、また逆転するが。

#いやなトリビア

15世紀に「大砲」が大々的に用いられ始めると、城塞は見上げるような高い城壁から、地を這うように低く分厚い堡塁へと変化していった。
数少ない例外がコンスタンティノープルの「テオドシウスの城壁」だった。

見ての通り、分厚すぎるのだ(;゚Д゚)
なお、鍵のかけ忘れで陥落した。

この、馬鹿みたいに分厚い城壁は、僅か数か月の突貫工事で造られたというから驚く。
にんげんってすごいね(; ・`д・´)

ちょっと誤解を招く書き方だったので補足
テオドシウスの城壁は5世紀初頭に建造された後、5世紀半ばに一度大地震で全損
アルテラさんが大暴れしている時期だったので、2ヶ月の突貫工事で良く知られる三重城壁へと改修された。

5世紀に造られた城壁が15世紀のオスマン軍の猛攻をはねのけ続けたという。

#いやなトリビア

全盛期のポーランドは強かった。
どのくらい強いかと言うと、ドイツ騎士団に完封勝ちしたり、15万のトルコ軍を数千騎でフルボッコしたり、ロシアに遠征しモスクワを焼き払うくらい強い。

なお、強さの秘訣は阿保みたい練度の高い騎士団なので、騎士たちが経済的に没落すると(。´Д⊂)

#いやなトリビア

新大陸にキリスト教を伝道しに行った修道士ラス・カサスは、南米にいたヨーロッパ人たちを
「人間を根絶やしにするいわば人類最大の敵とも言うべきキリスト教徒」
とくそみそに貶していた( ´△`)

画像の畜生がやらかしたのは中米だけど、まあ似たようなものだろう。

#いやなトリビア

みんな大好きJu.52はスペイン内戦ではコンドル軍団の爆撃機としても活躍した。
新型のHe.111は数が足りず、主力のJu.86も性能的にいまいちだったので輸送機のこいつが胴体下面に爆弾をぶら下げてえっちらおっちら爆撃するはめになった。
ゲルニカ爆撃の主役だ( ;´Д`)

WW2期のドイツ軍というとパンター戦車とかMe.262とか量はともかく質的にはゴージャスなイメージが強いが、初期のドイツ軍はほんと貧乏くさい軍隊で素敵

#いやなトリビア

古代地中海世界において無敵・・・とは言い難いが絶大な力と威信を誇ったローマ軍だが、帝国が東西分裂するころには財政難&ローマ市民の兵役忌避で、みすぼらしい異民族の軍団に成り下がっていた(;´Д`)

まあ、それでも有能な指揮官に率いられればとても強いのだけどね。

げるまーんな感じのローマ兵の皆さん。
ミニスカなら文明的なローマ人、ズボンをはいていたら蛮族と覚えるとわかりやすいぞ(*´ω`)

なお、この人たちはちゃんとした鎧を着ているのでかなり恵まれている。

#いやなトリビア

グノーシス主義に影響を受けたフランス南部の異端「カタリ派(あるいはアルビ派)」を討伐したアルビジョワ十字軍だ!
なお、フランス南部に所領をたくさん持っていたアラゴン王(イスラム勢力相手に聖戦中の敬遠なカトリック)がブチ切れて、十字軍vsレコンキスタで殺しあったぞ。

イベリア半島南部で頑張っていたイスラム教徒からしたら、目と鼻の先で異教徒同士の内ゲバなので、さぞかし飯が美味かっただろう(;´・ω・)

#いやなトリビア

よく「中世ヨーロッパは風呂に入らないので不潔で汚い」と言われるが、少なくとも16世紀まで神聖ローマ帝国では風呂屋(パン屋が兼ねることが多い)は繁盛していた。
宗教改革に端を発するドイツ農民戦争で庶民の社交場である風呂屋が農民反乱の温床となり、次々にとり潰されたのだ。

#いやなトリビア

トロイア遺跡を発掘したことで知られるシュリーマンは、実は幕末の日本に来たことがある。
ある時、大名行列を見学したら、翌日同じ道に惨殺死体が3つ転がっていたことを目撃
ご近所さんに何があったのかを聞くと(続く

(間違えた、大名行列ではなく家茂公の上洛だった。)

①百姓が行列の前を横切る
②切れた武士が、部下に百姓を斬れと命じる
③部下が「さすがにそれは」と躊躇うと、切れた武士が部下と百姓をまとめて斬殺
④騒ぎを聞きつけて駆け付けた上役が、切れた武士を斬る
という騒動があったと教えられ(続く

「死体はほったかしでいいんか(´・ω・)?」
とシュリーマンは呑気に日記に書き残している。

昨今では「江戸時代の武士は腑抜けw」だとか小ばかにする風潮があるが、正直われわれ現代人から見たら礼儀正しい狂犬としか( ;´Д`)

#いやなトリビア

WW2で一度はナチスドイツに敗れ国を支配されながらも、自由フランスとして戦い続け自由と民主主義を取り戻した誇り高きフランス共和国は、戦後に北アフリカのアルジェリア植民地でナチスに負けず劣らずに凄惨な支配と弾圧を行っている。
くわしくは「植民地共和国フランス」を読め。

#いやなトリビア

アフリカには地味に稲作地帯が多い。
奴隷貿易全盛期は、ジョラ、ヨルバ、イボ、マンデ族など水田耕作に慣れ畔作りや田植えを上手にこなす黒人奴隷は、奴隷市場で高値がついた。
サウスカロライナやカルフォルニアの田園風景は、彼らアフリカ人たちが汗水たらして創り上げたのだ。

#いやなトリビア

日本ほどではないにしろ、1930年代のタイ(シャム)王国はなかなか近代的な軍備を備えていた。伊達に欧米列強の間で独立を維持してはいないのだ(´ω`*)
なので、WW2でフランスがドイツに降伏すると、早速お隣の仏印に殴り掛かったぞ(;´Д`)

すったもんだの末に、日本が仲裁して停戦

#いやなトリビア

中世ヨーロッパには、遥か東の彼方に「プレスター・ジョン」というキリスト教徒の偉大な王がおり、いつの日か異教徒を打ち破りローマに凱旋するという伝説があった。
なお、実際にやってきた「プレスター・ジョン」は異教徒もキリスト教徒もまとめて蹂躙した。

実は、バグダットを破壊し尽くしたフレグ・ハンの配下にはキリスト教徒(ネストリウス派や正教だが)が多く、中東圏のキリスト教徒たちはフレグを「救世主」と崇めていたので、あながち間違いでもないのがややこしい>プレスター・ジョン伝説
実際、モンゴルは十字軍国家に同盟を呼び掛けたりしている。

#いやなトリビア

584年、ネウストリア王キルぺリク1世の娘が西ゴート王に輿入れする際、護衛の軍隊は
「貧者のあばら家すら略奪し、葡萄畑からは果実どころか折れた枝や根っこまで持ち去ったのち破壊した」
という。
枝云々は比喩だろうが、それにしても戦争ではない王姫の輿入れすらこのざまである。

まあ、フランク王国のクローヴィス王は507年に西ゴート族を援軍に呼んだ際、指定した自領内の行軍ルートに糧食と飼い葉を準備して略奪の禁止を徹底。違反者は即決裁判で処刑して回ったので、中世初期でも有能でカリスマ性があり優秀な配下を持つ君主であれば、規律正しい行軍は可能であったようだ。

#いやなトリビア

1154年、神聖ローマ皇帝フリードリッヒ1世・・・世にいう「赤髭王(バルバロッサ)」が北イタリアへと進軍した際、皇帝に従うミラノ市が協定に基づき食料を供給する手はずになっていた。
最初の宿営地ランドリアーノでは
「その夜、軍馬に食べさせるものは手に入らなかった。」(続く

中世前半で最も偉大な神聖ローマ皇帝は、食料を運んできたミラノのパン屋や商人から身包みを剥いで送り返した。
その後も、軍馬の飼料はおろか兵士の食料にも不足をきたすと皇帝はたまたま近くにあった城へと配下を避難させた(なお、城の住人は追い出された。)。
皇帝の騎士や兵士たちは(続く

約束されていた十分な食料が提供されないため、城の周囲にある村々を略奪し、家屋に火をかけ、飢えを満たし約束を破ったミラノへの「正当な」懲罰を果たした。

歴代の神聖ローマ皇帝は、だいたいローマでの戴冠のついでに行き掛け駄賃で豊かな北イタリア平原を略奪しまくっている(;´Д`)

#いやなトリビア

後に神聖ローマ皇帝を追い払い、ローマ教皇を屈服させ、東ローマ皇帝を打ち破る「狡猾なロベルト」も、若き日は身一つでノルマンディーからやってきたよくある貧乏騎士の一人だった。
すでに南イタリア地方の有力者だった異母兄「鉄腕ギョーム」に(続く

カラブリア地方(長靴のつま先部分)の平定を任されたロベルトは、手始めに都市や城砦を無視して農村への略奪を繰り返し、カラブリア人たちを散々に引っ掻き回し畏れさせ、さらに自分の死を偽装して
「(カラブリアの歳にある)由緒ある修道院に埋葬して欲しい」
と部下に交渉させ(続く

埋葬の最中に棺桶から飛び出し、参列した領主を殺害
混乱に乗じて配下を乗り込ませ都市を制圧する等、神をも畏れぬ所業で短期間で同地を平定
「武器で城を打ち負かしたのではなく、策略で制服した」ロベールは、「ギスカール(狡猾な)」という名を冠され、やがては11世紀の地中海最強の梟雄となる。

#いやなトリビア

近代以前の船乗りというと、「不潔」「ウジの湧いたビスケット」「囚人より悲惨」「壊血病」というイメージが一般的だが(断言)、船乗りがここまで悲惨な仕事になったのは大航海時代になってきたから。
何せ、それ以前は陸地沿いに数日沖に陸に寄りながら航海をしていたからな!!

港は無くても、嵐を避けたり、食料を調達したり、略奪をするためなどで頻繁に陸地に寄るので、壊血病になるほどビタミン不足になることもなかったのだ。

#いやなトリビア

1944年、暗黒メガコーポ「ユナイテッドフルーツ社」により事実上支配され、貧困と抑圧に喘いでいたグアマテラ共和国は「10月革命」で暗黒メガコーポと癒着した不敗汚職独裁政権を打倒した。
1951年、汚職大統領を追放した(比較的)リベラルな軍の監督の下で公正な選挙が行われ(続く

選挙で圧勝したアルペンス新大統領は「近代的な資本主義国家」というスローガンを掲げ慎重に共産主義から距離を置き、中南米の支配者たるアメリカを刺激しないように(暗黒メガコーポに独占された)農地改革や(暗黒メガコーポに有利な)税制の改正を進めようとした。
自由と正義を掲げWW2に勝利(続く

した民主主義の守護者アメリカ合衆国は、「経済的に完全に我々(アメリカ企業)に依存している」くせに「我々(アメリカ人)を侮り続ける」グアマテラに対し「思い知らせてやる」ためにみんな大好きCIAと暗黒メガコーポユナイテッドフルーツ社が1953年に軍事クーデターを後押しし成功させた(続く

その後、10年以上続いたグアマテラ内戦の死傷者は少なくとも数十万人に達すると言われる。

#いやなトリビア

WW1終結後、ドイツが破滅的なハイパーインフレによる経済危機に陥ったことは有名だが、では戦勝国であるフランスはどうかというと、国土の荒廃(何せ、西部戦線はフランス東部が主戦場である。)、輸送難、食糧難、人口ピラミッドが砲秋するレベルで成人男子(=労働力)が激減(続く

莫大な戦費の返済に戦傷者・負傷者への年金支払いで財政は火の車なんてレベルではなく、物価の高騰とフランの下落により市民生活は困窮
1919年には賃上げや物価手当など諸手当、退職年金の改善を求めた労働争議が多発し、買い占め、闇市、収賄が横行する有様
負けたドイツより多少はマシな程度(続く

それでも、1919年にクレマンソー内閣はドイツからの賠償金を当てにして特別予算で290億フランの赤字となる楽観的な予算を組み、翌年のミルラン内閣でも「回収可能支出予算」・・・つまり後からドイツの賠償金で補填する前提の予算を組み171億フランの赤字財政となった。
ドイツからの賠償金に(続く

期待をかけた楽観的なインフレーション政策が実施される中、1921年の賠償委員会会議ではドイツの負うべき賠償金額を1320億マルクと評価し、さらにドイツの必死の抵抗(何せ、ドイツ国内では餓死者すら出かねない惨状だ(;´Д`))で20億マルクの年賦支払いにまで妥協が成立した。(続く

1921年6月のマルク崩壊で英ロイド・ジョージ内閣はドイツの嘆願を受け賠償金支払いの猶予を承認
とうぜん、ドイツの賠償金を経済復興の当てにしていたフランス(とベルギー)は激怒し、ブリアン内閣は総辞職に追い込まれタカ派のポアンカレ内閣(2回目)が成立
1922年の第二次モラトリアム(続く

1923年1月2日のパリ会議を経て対独政策を巡る英仏(とベルギー)の対立は決定的になり、1923年1月11日にフランス(とベルギー)はドイツの賠償金不履行を理由についにルール工業地帯の武力占領を断行
もっとも、ドイツ人の抵抗と国際社会からの非難により、無駄に予算を圧迫するだけに終わったが(続く

そもそも、賠償金の額も返済方法も決まらないうちに、賠償金を当てにした予算を組んだのが根本的な誤り無きがしないでもない(´・ω・`)

フランス君、予算編成がちょっと適当過ぎないか?

#いやなトリビア

1945年5月22日、極東においていよいよ日本本土への上陸作戦が現実味を帯びる最中、イギリスのチャーチル首相のもとに「ありえない作戦」と名づけられたとある報告書が提出された。
ブルック陸軍元帥、カニンガム海軍元帥、ダグラス・エヴィル空軍大将、その他イギリス軍の(続く

最上位の将官たちが直接検討をした「ありえない作戦」は
・イギリスとアメリカ双方の国民による全面的な支持とそれに伴う高い士気が維持されていること
・アメリカおよびポーランド軍による全面的な支援を受け、かつドイツの人的資源と残存する工業生産能力を活用できること(続く

・他の西洋諸国の軍からの支援は不確かであること
・ソ連は日本と同盟すること
・作戦開始日は1945年7月とする
・最終的または政治的目標は、アメリカ及びイギリスの意思をソ連に対し強要することである
という前提条件が設けられていた。
「ありえない作戦」のもう一つのタイトルは(続く

「ロシア 西洋文明に対する脅威」
イギリスによる、アメリカを巻き込んだ対ソ作戦計画であった。

#いやなトリビア

(下地となる自動車産業すらないねに)初の国産戦車である89式中戦車がまずまず満足いく性能だった日本陸軍
熱河事変などで戦車の運用をアレコレ試しつつ、無難にまずは各種軽戦車(装甲車)をコツコツ開発し(続く

1935年には世界水準の性能を持ち、なおかつお値段お手頃。ディーゼルエンジンなので燃費が良く何より足が速いから機動運用(つまるところ、トラックに付いていける速度がある)も可能な95式軽戦車を開発成功(続く

現場から
「こういうヤツが欲しかったヾ(´ー`)ノ」
と好評だった95式に続き、1937年には日本戦車の決定版である97式中戦車、みんな大好きチハたんを制式採用
57mmの大火力、25mmの装甲と高い機動性を備え(95式に比べて)非常に強力なチハに陸軍は大変満足した。
・・・ノモンハンを経験するまでは(続く

ノモンハン事変でチハやハ号は必ずしも一方的に惨敗したわけではないが、ソ連戦車が日本より強力な高初速45mm砲を搭載している以上、チハの改良は必須
日本戦車は高初速47mm砲を搭載したチハ改良型の開発に邁進するも、折り悪く日米戦が勃発(続く

日米戦と日中戦の2正面作戦でてんてこ舞いしている最中、さらに欧州では戦車の恐竜的進化が。
日本陸軍はチハシリーズの後継として開発中の新型戦車を高初速57mmから高初速75mm砲へと設計を拡大し、開発の遅延をチハシリーズへの75mm砲搭載で埋め合わせる。ガルパンでお馴染みの3式中戦車である(続く

戦局の悪化で「本命」である高初速75mm砲搭載の30t級戦車チト(後の4式中戦車)とチリ(後の5式中戦車)の開発完了は1945年にまで遅れ、繋ぎであるチヌ(3式中戦車)の大量生産すらままならぬまま、日本陸軍は本土決戦を覚悟することになった( ´△`)

あるいは、日米戦争さえ起きていなければ(続く

1945年のチト開発完了をもって、15t級のチハシリーズからまずまず世界水準といえるチト(またはチリ)シリーズへの移行は順当に進んだかもしれない。

まあ、死んだ子の歳を数えるようなものだが(;つД`)

2式砲戦車とかいう、なんだか良くわからない子もいるが、初期の4号戦車みたいなポジションなのだろうか(´・ω・`)?

日本陸軍の装甲化を進めた立役者たち(*´ω`*)
テケたんはよくネタにされるが、デビュー時はなかなかたいした豆戦車(タンケッティ)だったのだ。

まあ、本来は装甲弾薬運搬車なんだけど(´・ω・`)

#いやなトリビア

19世紀末から20世紀初頭にかけて、大日本帝国と欧米列強の有形無形の圧力によりついに開国を強いられた朝鮮(李朝)には、新しい市場を求め各国の商売人たちが続々と乗り込んだ。
中でも、最も盛んに進出したのは地理的に有利な日本と清朝であり、日本商人は清商人に負けじと(続く

釜山や仁川に多くの船で乗り付け、内陸まで商売の足を延ばしていた(それでも、清商人は日本人が行く先には必ず先んじていたらしいのだが。)
李朝末期は数百年続いた統治機構が制度疲労の末に破綻しつつあり、数々の改革も失敗し経済状況は悪化。首都ソウルには農地を棄てた人々がスラムを形成(続き

経済的にどん底にあった朝鮮において、日本商人たちは「朝鮮向け」の安かろう悪かろうな粗悪品を売りさばき利益を上げていた。
当時の朝鮮を旅した如囚居士(本間旧介)は、同胞のその浅ましさを、西洋人たちが「日本向け」の商品を売りさばくことに喩えた皮肉を残している。

なお、如囚居士の「朝鮮雑記」によれば、同じ朝鮮人でも古くより国際貿易港として栄えた釜山の人々は、目が肥えているので安物買いをしなかったらしい(`・ω・´)

#いやなトリビア

フランス領マダガスカル植民地で起きた反乱「マダガスカル蜂起」はフランス共和国政府を驚愕させた。「従順で礼儀正しい」黒人たちが反乱を起こし、あまつさえ事態に戸惑う隣人を暴力で脅し無理やり蜂起に加担させる野蛮な姿は、マダガスカル島を文明化し奴隷制度を撤廃まで(続く

したフランス人たちを失望させるには十分であった。
フランス植民地政府は直ちに事態の鎮静化を図った。村々は焼き払われ、逮捕されたマダガスカル人は情け容赦なく拷問にかけられ、見せしめに軍用機から蜂起に参加した原住民の村落の上にばらまかれた。当然、パラシュートなど渡すはずもない(続く

もっとも、逮捕した反乱者たちを満載した貨車を、機関銃で機銃掃射した際には、さすがに鉄道会社から軍に対し「器物損壊」の訴訟を起こされたのだが。

この「マダガスカル蜂起」がいつ起きたかって?
1 9 4 7 年 だよ( ;´Д`)

#いやなトリビア

偉大なアクバル大帝の後を継ぎ、ムガル帝国を発展させた第4代皇帝ジャハーンギールだが、即位前からの阿片中毒が原因で父との仲は険悪であり、一時期は彼を飛ばして長男のクスロー王子(美形で臣下や民衆から人気のある好青年だった)が次期皇帝に擁立されかねない状況だった(続く

「こんな薬中の糞親父に帝国は任せられん!」と思ったかどうかは不明だが、順当にいけばそのまま皇位を継げるはずのクスロー皇子は父の即位の翌年1606年に早速反乱を起こし敗北
ジャハーンギール帝も流石に跡継ぎ息子には甘く、反乱に加担した皇子の側近たちを串刺しにしたあと(続く

皇子を同じ象に載せて串刺しの間を連れ歩きながら
「汝の部下が、汝に敬礼してるぞ(嗤」
と、嫌味を言う程度で許している。

ジャハーンギール帝は自分が父と不仲を抱えていたこともあり、ムガル皇室の骨肉の争いの歴史を基準に考えれば、驚くほど寛大な父親だったのだ。
これでも(;´Д`)

なお、クスロー皇子が2回目に反乱をたくらんだ時は流石に片目を潰したが、それでも命はとらなかったし継承権は残している。
まあ、ジャハーンギール帝の跡目争いで弟にぶっ殺されたけどな!!!!!

#いやなトリビア

V-1飛行爆弾の有人版であるFi-103Rを装備したレオニダス隊(約70名)は、建前上は全員が熱心な志願者であり、この99%死ぬであろう任務にも同意する誓約書を書かされていた。
なぜ99%かというと、一応このドイツ版桜花は直前で脱出できるようになっていたのだ(続く

最終速度が800km/h近いFi-103Rから手動で脱出して、コクピット真後ろにあるジェットエンジンに激突することなく飛び降りさらに超低空からのダイブで生還できる人間がいるかは激しく疑問ではあるが(;´Д`)

#いやなトリビア

13世紀のイタリアの戦場では、投石機でロバを投げ込むことがブームだった。もちろん嫌がらせである。
なぜロバなのかはよくわからないが、1289年にフィレンツェ軍はアレッツォ市に対し「司教冠を被せたロバの頭」を投げ込んでいる。
当時の文化的に、何か大きな意味があるのだろう。

#いやなトリビア

1276年に偉大なるレコンキスタの英雄「征服王」ジャウマ1世の後を弟と分割相続した継いだバルセロナ伯ペラ2世(アラゴン王としては「ペドロ3世」)のもとに、シチリア島からの救援を求める使者がやってきた。
征服者であるフランス人の横暴に(続く

耐えかねたシチリア人たちがついに蜂起し、フランス人によって殺された亡きシチリア王マンフレーディの娘婿であるペラ2世に頼ったのだ。
シチリア人の圧倒的な支持を得た彼はフランス艦隊を打ち破りアラゴン王兼シチリア王(シチリア王としてはピエトロ世)として即位(続く

問題は、アラゴン王国が代々敬遠なカトリック国家であり、現在のローマ教皇がフランス贔屓であったことである。しかも、先のシチリア王マンフレーディはあの「アンチキリスト」フリードリッヒ2世の息子、ローマ教皇庁の怨敵でもあった。
つまり、ペラ2世は教皇の面子に思いっきり泥を塗ったのだ(続く

怒髪冠を衝いた教皇はペロ2世を破門し、領地の没収を宣告した。
ヨハネの代理人たる教皇より地獄行きを宣告された若きアラゴン王は、教皇に没収すると宣言された領地をあろうことか「競り」にかけ教皇を嘲った。

1285年、ローマ教皇の号令によりカトリックの守護者たるフランス王を総大将とした(続く

「十字軍」が、長年異教徒を相手に国土奪還戦争を戦い抜いてきた敬遠なカトリック国であるアラゴン王国相手に開始された。
血気盛んなペロ2世は、テンプル騎士上がりの傭兵隊長「華のフロー」と名高きアルモガバルスの活躍もあり、この十字軍を見事に打ち破って見せた。

どうでもいいが、イベリア半島史を調べていると「ヒスパニア辺境領」「毛むくじゃら伯」「兄弟殺し伯」とか素敵ワードがちょくちょく出てくる(´・ω・)
あと、バルセロナ伯の称号はシャルルマーニュ大王から与えられたものだから、アラゴン王位とかバレンシア王位よりも格が高いのね(*´ω`)

#いやなトリビア

515事件の首謀者の一人、三上宅海軍中尉は自分が襲撃すべき首相官邸の場所を把握しておらず、同志の一人(黒岩勇予備役少尉)に教えて貰いなんとか犬養首相を暗殺した。

海軍兵学校で何を習ってきたんだお前は(´д`|||)

#いやなトリビア

1 首相は人格の立派なる者
  現在の政治の弊を改善し、陸海軍の軍紀を振粛するには、最も首相の人格に依頼す。協力内閣と単独内閣などは問う処にあらず。ファッショに近き者は絶対に不可なり。
  憲法は擁護せざるべからず。然らざれば明治天皇に相済まぬ。(続く

2 外交(国際平和を基礎とし、国際関係の円滑に努むること。)
3 事務官と政務官の区別を明らかにし、官規振粛を実行すべし。

1932年、5.15事件後の首相選定で昭和帝が元老・西園寺公望に口頭で伝えたという「希望」のメモ書き(西園寺は後で焼却処分する気だった)にはこう記されている(続く

要約すると
・協力内閣だとか単独内閣だとかはどうでもいいから陸海軍と官僚の綱紀の乱れをなんとかせい(おこ
・憲法はちゃんと守れ
・国際協調は守れ
・平沼ダメ。絶対

というあたりだろうか?
結局、昭和天皇の「希望」は何一つ叶えられないまま1945年8月15日を迎えることになるのだが( ;´Д`)

#いやなトリビア

良い子の諸君!
奴隷貿易全盛期、特に奴隷海岸地域には欧州諸国から輸入した最新型の銃で武装した強力な黒人軍団が割拠していたぞ!
彼らの資金源は、主に金、米、奴隷、毛皮や香木などの輸出であり、特に輸出用の奴隷を獲得するためには軍事力は不可欠だったのだ!!

白人がアフリカ大陸の内陸に進出するのは、だいぶ後の時代である。

#いやなトリビア

良い子の諸君!
かの5.15事件で暗殺と並行して計画された「帝都暗黒化作戦」では、民間人有志が東京の主要な変電所を破壊し、帝都を停電状態にすることで帝都の人々に地方の惨状を想い起させようとしたぞ!

ショッカーよりふんわりしているなお前ら!
なお、爆弾すら用意せず失敗

#いやなトリビア

良い子の諸君!
かのフランク王国はカール大帝の全盛期の後に綺麗に3分割されたのは有名だが、カール大帝自身も弟と分割相続していたし、それ以前も代替わりの度にフランク王国は分裂していたぞ。
毎回、兄弟同士でぶっ殺しあって再統一するのが恒例行事だったがな(;´Д`)

この絶え間ない内戦が「出世と領土拡張のチャンス」をもたらし、まだ制度的に未熟なフランク王国の安定と統一(安定しているとも、統一されているとも言っていない。)をもたらしたとかなんとか。

・・・修羅の国かな?

#いやなトリビア

良い子の諸君!

南京を攻め落とした日本は、蒋介石率いる中華民国に代わる新たな正統政府(傀儡)を設立しようとしたが
・関東軍がケツ持ちの蒙疆聯合委員会
・北支軍が音頭を取る臨時政府
・中支軍が立ち上げた維新政府
のどこが主導するかでくっそ醜い争いをしていたぞ!(続く

最終的には
「この戦争を早く終わらせねば、勝っても負けても中国は悲惨なことになる(悲壮感」
となっていた元蒋介石政権の重鎮・汪兆銘が日本に下り、南京政府を立ち上げなんとかまとめたのだが。

・・・正直、この糞軍閥どもをなんとかせんことには日本はどうにもならん(;´Д`)

もうさあ、せめて陸軍内でぐらいはこう・・・ちゃんと意思統一してくれよ。まぢで( ;´Д`)

#いやなトリビア

「・・・重傷を負ったアクーロフ以外は皆殺された。中国人たちは彼を連れ去って、二ヵ月近く経ってから、拷問の跡の残った死体を引き渡した。」
「体の骨が砕け、心臓も胃袋も生殖器もなく、銃剣による傷がたくさんあった。」

1969年3月2日、珍宝島(ダマンスキー島)の戦いに(続く

参加し、後続の小隊を指揮したブベーニンの回顧では、人民解放軍の奇襲攻撃で全滅したヴェネヴィッチ小隊(32人)のうち、31人は戦場で遺体を回収したが、残るアクーロフという兵士は国境紛争の終息後、凄惨な拷問を受けた遺体を引き渡された。

ソ連側の死体検案書の記録からも、(続く

全滅したヴェネヴィッチ小隊の隊員が「銃弾と榴弾で死亡した後」に刃物や鈍器で損壊を受けたのは間違いないようだ。

#いやなトリビア

百年戦争もまだ始まったばかりの1344年。パリ近郊、クリュニュー大修道院傘下のとある修道院長とパリの神学生が、「プロヴァンスのジャック」なる兵士の乱暴狼藉をパリの高等法院に訴えた。
訴状では、この兵士はパリの神学校に向かう途中の修道院長(もちろん貴族である。)を(続く

・馬から乱暴に地べたへ引きずり下ろし。
・不正で不名誉なことを行い、言い放った。
ため、フランス王の特別な保護に与る修道院長に対する侮辱に対し厳正な処罰を求めた。
「プロヴァンスのジャック」はこれに対し
・自分は王弟アランソン伯シャルル閣下の徴発役であり、戦における正統な権利(続く

に基づきアランソン伯の名のもとに修道院長一行の馬を徴発した。
・そもそも、王弟閣下に関係する裁判は王のいる宮廷が管轄すべきであり、高等法院に(アランソン伯の兵士である)自分を裁く権利はない。
と反論した。
高等法院はこの厄介な案件に対し、最終的に自己の管轄権を主張しつつ(続く

示談を進め、最終的に2名の聖職者の立会いの下示談が成立した。

一介の兵士が、王の庇護下にある高位貴族の修道院長を馬から引きずり下ろしても、「正戦における徴発」という大義名分と、王弟の庇護があれば示談にまで持ち込めるのもまた中世と言う時代なのである。

ヤクザと同じで、末端とはいえ自分の手下はちゃんと庇護してやらねば、王侯貴族も親分としての面子が立たんからね(´・ω・)

ここら辺の「面子」の問題は、近年だと「狼と香辛料」「狼と羊皮紙」シリーズがよく描写している。

#いやなトリビア

よい子の諸君!!

イングランド王エドワード3世はフランスと戦争をするため、フィレンツェの銀行家バルディ家とペルッツィ家から多額の借り入れをしたが、両銀行はエドワード3世の債務不履行で破産したぞ!!
金を貸す相手は慎重に選ばないといけないね( ;´Д`)

なお、対戦相手であるフランス王フィリップ6世は軍資金捻出のために貨幣改鋳(額面を下げないまま金の含有率を減らすアレ)を繰り返しインフレを招いたため「贋金作り王」の名を残している(;一_一)

まあ、軍事支出が王家の収入の4倍もかかったらしいからね・・・

中世の王様たち、戦場で戦っている時間よりも金策に奔走している時間の方が長い( ;´Д`)

仏「イングランド軍が攻め込んできたけど、手持ちのお金が底をついているので軍を編成できません(ノД`)・゜・。」
英「フランス軍が来てくれないからだらだらと略奪ばかりしているけど、もう軍資金が底を尽きそうなのでお家に帰りますね(;^ω^)」

そりゃ、戦争が100年続くわ。

#いやなトリビア

WW2である意味戦争の趨勢を左右した北岬沖海戦
巡洋戦艦シャルンホルストは12月25日、3時間待機から出撃命令がかかり同日1900に出港した。

そう、艦内はクリスマスムード一色、艦内放送でクリスマスキャロルが流れる最中の出撃命令である。
艦内は怨嗟の声で溢れたそうな(;´Д`)

#いやなトリビア

良い子の諸君!
数々の大征服を成し遂げ「壮麗王」と称された名君スレイマン大帝には、ムスタファという優秀で臣民からの人気もあり父親に忠実な息子がいて、臣民の誰もがこのよくできた長男こそが偉大な大帝の跡を継ぎ次期スルタンであると噂していた。
1553年、イラン遠征(続く

のために大帝に挨拶伺いするためイスタンブールにやって来たムスタファは、次期スルタンの姿を一目見ようと詰め掛ける臣民の歓呼に応えながら偉大な父の待つ天幕へはいって行き、その場で控えていた屈強な死刑執行人たちにより処刑されたぞ!!

このあまりもあまりな仕打ちは、スレイマン大帝の(続く

寵姫ロクソラーナが、自分の息子たちを次期スルタンに押すために大帝を唆した陰謀劇だっと言われる。

だが、ヒトを呪わば穴二つ。ロクソラーナの二人の息子もまた時期スルタンの座を巡り骨肉の争いを繰り広げ、老いて猜疑心に捕らわれたスレイマン大帝はまたしても己の息子を処刑することになる。

#いやなトリビア

1938年6月13日、内部人民委員会極東地方長官ゲンリフ・リュシコフ3等政治大将が国境超えて満州国に亡命
彼の証言によると

・極東地方在任の約1年間、彼自ら逮捕した者が約3,000名、同地域全体の逮捕者は合計約200,000名、うち銃殺刑に処せられた者は約7,000名を越えた(続く

・彼の国外逃亡の動機は、粛清の危険が彼の身辺にまで及んできたからである。具体的には、内務人民委員会上層部がスターリンの「粛清病」で神経衰弱気味になり、彼と同じ地位にある親友から「要人しろ」との連絡を受けるに至ったため、ついに亡命を決意した。

うわぁ(;´Д`)

「用心しろ」だった(;´・ω・)

#いやなトリビア

日本が引き起こした満州事変に対し国際社会が何ら有効な制裁を行えなかったことを見た我らがドゥーチェは、日本に続けとばかりに(国王や軍の反対を押し切って)1935年にエチオピア侵略を開始
なお、ファシズム体制の喧伝のために黒シャツ隊を大量に送り込んだが(続く

正規軍の足をひっぱるだけでクソの役にも立たなかったし、新たに植民地として獲得したエチオピアから唯一手に入れた価値のあるものは国王への贈られた「エチオピア皇帝」の称号だけだった(;一_一)

#いやなトリビア

WW2が勃発してすぐの1939年9月5日、英空軍の哨戒機アブロ・アンソンが潜水艦を発見。低空から100ポンド爆弾2発を投下し仕留めようとした。
2発の爆弾は飛び石のように水面で跳ね返り投下機の真下で起爆。自機の投下した爆弾で自機を撃墜するという離れ業を演じてしまった(;゚Д゚)

ちなみに、狙われた潜水艦は英海軍のS級潜水艦「シーホース」だった。
うっかりUボートと間違えて味方潜水艦を爆撃したあげく、自分で自分を撃墜しそのまま不時着水し救助されたとか(;一_一)

事実は小説より奇なり

#いやなトリビア

「良識的」な異端審問官にとって、異端の火刑とは自らの敗北を意味した。
彼らの使命は、異端者を正しき信仰に導くことであり、多少乱暴な手段(棒)を駆使してでも被告を悔悛させ善きキリスト教徒として死後は天国へ行けるようにすることが異端審問官の誇りであった。(続く

それゆえに、異端者をついに更生させられないまま火刑に処すことは異端審問官にとって屈辱であり、ましてや異端者の財産目当てでろくに審議もしないまま次々と処刑をしていく腐敗した聖職者や世俗裁判所は「良識的」な異端審問官にとって唾棄すべき相手であった。
彼らにとっては残念なことに、(続く

宗教裁判で禁固刑等の軽い処罰で済まされた被告が、世俗裁判所によって火刑に処せられ(被告の財産は裁判をした領主の懐に収まる。)、あるいは「熱心」な信仰者が異端者の墓を暴き、最後の審判後に絶対に復活できないよう遺体を火刑にするという異端審問官すら顔を背ける非道な仕打ちすら(続く

行われた。
まあ、それはそれとして異端審問官による調査・密告・尋問/拷問・転向のノウハウは時代とともに洗練され、やがては彼のナチスやボリシェビキなどの秘密警察へと受け継がれていくのであるが。

#いやなトリビア

「驚くことを忘れた都会人、知性の名の下にお茶をのむ都会人。どうやら私にはもうこれらの人とは縁があっても、用事はなさそうである。」
「だが、若し生きて帰ったらちきしょう、足で踏みにじってやる。」
1941年10月、南支派遣軍報道部が発刊する「兵隊」第22号に寄稿された(続く

ノモンハン事件の生き残りの兵隊が遺した呪詛である。

#いやなトリビア

1939年9月17日、ノモンハン事件にケリをつけたスターリンと愉快なソビエト労農赤軍はソ連・ポーランド不可侵条約を一方的に反故にし、ドイツに追い詰められつつあったポーランドへ侵攻
同国に止めを刺した。(続く

1939年11月29日、ソ連・フィンランド不可侵条約を一方的に破棄したスターリン率いるソ連赤軍はフィンランドへ侵攻し、ソビエト連邦は国際連盟より除名された。
フィンランドの常軌を逸っした凄まじい抵抗により、併合まではできなかったが、同国の重要工業地帯を切り取っている。(続く

1941年4月13日、ソビエト連邦と大日本帝国は日ソ不可侵条約を締結した。
スターリンはモスクワで開かれた条約締結を祝う宴会で、日本大使館付海軍武官に対し
「これで、日本は安心して南進できよう!」と語ったという。(続く

1941年6月22日、ヒトラーと愉快なドイツ軍は独ソ不可侵条約を一方的に反故にし、バルバロッサ作戦を開始した。
7月7日、大日本帝国陸軍は関東軍特別大演習の第1次動員を開始
駐日ソ連大使は10日おきに松岡外相を訪問し、日本が中立条約を遵守するか否かを問い合わせた。
松岡は3回目の会談で(続く

「自分としては、中立条約が現戦争には適用されないものと考える。」
と回答した(;゚Д゚)

8月5日、豊田外相はソ連大使に対し
「日本は中立条約の各条項の義務を、誠実に履行する意図である。」
と伝えた。
ドイツ軍が破竹の勢いで進撃しているにも関わらず、極東ソ連軍が増強されたことも(続く

なにか、関係していたのであろう。
1945年8月8日、ソビエト連邦は大日本帝国に対し日ソ不可侵条約の一方的な破棄を通達。宣戦布告した。

#いやなトリビア

WW2も佳境の1942年8月、大日本帝国はドイツ第3帝国に対し
「鉄一〇〇万瓲、船五〇万瓲購入方を申し入れる電報」
を発したぞ。

陸軍統帥部の戦争指導班長種村佐孝も思わず「ドイツにそんな余裕があれば、日本に対ソ参戦をたびたび要求せんわ(;´Д`)」と日誌でツッコミを入れている。

#いやなトリビア

1941年6月のある日、M16の航空情報部門に所属するイラストレーターであるピーター・カールズは、ベンブリー・ウェールズに不時着し確保されたFw.190のイラストを週末までの完成させ納品せよと要請を受けた。
英国はこのスピットファイアをも凌駕しうる新型戦闘機を極めて危険視(続く

していたのだ。
ピーター・カールズが超特急で描き上げたイラストは技術的な特徴などをふんだんに描き込まれた素晴らしい仕事だったが、様々な手続きを経て複製の発行は1942年9月まで遅れてしまった(;´Д`)

戦時下でのお役所仕事は日本だけの問題ではないのだ。

#いやなトリビア

「歌のことから、僕は従軍記者のことを思い出した。」
「キスカの沖合で停止した船上でのことだった。島に日本兵が全然いないとわかったとき、ある従軍記者がかんかんに怒った。」
「数千のアメリカ人の血が失われれば、彼は"アメリカの血"とか"アメリカの若き命とホープ"とか(続く

いう言葉でそれを表現することが出来ただろうが、その命が救われた。」
「彼にとって、命などどうでもいいことだということが、その行動にはっきり見えていた。彼にとっては、亜太平洋の"Bクラス作戦"の虚しい索敵行に参加して、時を空費したことのほうが、大問題だったのだ。」(続く

「僕がグアムに来るちょっと前に、この従軍記者がアリューシャンの戦闘をこんな風にケチをつけて放送していた。"彼らは何をしたか?大したことはしなかった。日本軍の米本土攻撃を阻止しただけのことだ"」
「かくして、彼はその話をすることによって金を手にした。」

太平洋戦争に従軍した(続く

通訳士官にして後の日本研究家ドナルド・キーンの回顧である。
報道関係者の全てがこんな屑ばかりではないが、それはそれとしてどんな国にも糞みたいな報道屋はいるものなのである(;一_一)

#いやなトリビア

太平洋戦争が勃発する以前、徴兵され日華事変に従軍した日本兵の多くがベトナム帰還兵のような社会からの疎外感を感じていた。
上海や南京での華々しい勝利が新聞の一面を飾り国民を沸かせたのも最初だけ、いつまで経っても終わらない戦争に移り気な民衆は飽きてしまったし(続く

すでに志那軍は重慶へと逃げ去り(国民視点)、「地味でつまらない」治安戦ばかり(偏見)な復員兵の戦場話など物好き以外は聞きたがらなかった。
自らも従軍した火野葦平が記した「麦と兵隊」が銃後よりもむしろ兵士の間で絶大な人気を得たのも、そんな兵士の苦しみや虚しさを共感できたためだとか。

#いやなトリビア

1937年12月8日、南京攻略一番乗りを目指す藤田戦車隊(正確には独立軽装甲車第2中隊)の藤田実彦少佐は、南京市街から目と鼻の先である秣陵関近郊の農家で、不眠不休で進撃してきた部下たちを休ませつつ一睡もせぬまま夜を明かした。
イケイケどんどんで猛進撃し過ぎて(続く

気が付いたら敵中で孤立していたところに後続の歩兵が追い付き一安心と思ったら、今度はその歩兵部隊が
「眼前の志那軍陣地に夜襲を仕掛けるから支援してくれ!」
と言い出し、見たとこかなり堅固な陣地だしまず敵陣を解明せねばとか戦車で夜襲は厳しいとかやるなら断固とした決意と勝算がとか(続く

あ~だこーだ議論した末に、歩兵部隊の隊長(名前、階級不明。たぶん、藤田少佐と序列的にはあまり差がない。)が
「じゃあ、ちょっと敵陣地を解明してくるんで待機していてください」
と言って前進してしまい、藤田少佐もこれ幸いと徹夜で強行軍をしていた部下たちを休ませ、飯を炊かせたり(続く

後方3里ほどに待機させていた段列(部隊の中で、炊事や医療や整備など兵站業務を行う部署)を呼び寄せたりしつつ、歩兵の要請があればすぐ動けるように待機していた。
結局、その夜は血気にはやった歩兵隊長が歩兵単独で夜襲を仕掛けて案の定撃退されており、夜が明けて次々と後送されてくる(続く

友軍兵士たちの様子に藤田少佐は暗澹たる気持ちなっていた。

もっとも、少佐の憂鬱はもっと大きなショックにあっさりとかき消されたのだが。
夜が明けて村の様子をよく見てみると、水の調達に使った池には青のりが浮かび馬でさえ呑むのを嫌がるほど汚く、さらに中国兵の遺体が二人浮いていた(続く

昨夜、自分たちがこの池の水をごくごく飲み、この池の水で炊いた飯をうまいうまいと食っていたことを思い出し、藤田少佐はぐっと胸がつかえる感じがしたとかなんとか。

ちなみに、この藤田少佐は終戦時に色々なゴタゴタに巻き込まれたというか自分もゴタゴタを起こしていたとか、まあ色々あって最終的には中共軍に捕らえられ非業の死を遂げました。

まあ、個人としては立派な人だったらしいけど。
あと髭が凄い。

#いやなトリビア

良い子の諸君!
日中戦争が本格化していた1937年11月、英首相チェンバレンは
「欧州情勢がこれ程深刻な現時点で、日本に喧嘩を仕掛けるほど自殺的行為はない。」
と閣議でぶっちゃけたぞ!

英国がまともな対中支援を始めるのは南京どころか武漢も陥ち、重慶に追い詰められた(続く

1939年に日本軍が海南島を制圧し香港や英領マレーを脅かすようになってからだ。

当時の(今も?)「国際社会」とやらが、侵略戦争に対して実に毅然とした対応(棒)をしていたことがよくわかるね(´д`|||)

#いやなトリビア

「十字軍を殺して死体から物をはいだ田舎者どもを盗人のように吊るすことができれば、これほどの善行は無いだろう。」

アルビジョワ十字軍に参加した、名もなき詩人の詠んだ詩である。
中世ヨーロッパでもまた落ち武者狩りは猖獗を極め、戦に敗れた騎士や兵士の多くが(続く

百姓や浮浪者たちの餌食となった。
もっとも、十字軍(あるいは反十字軍も)による恐るべき殺戮と略奪を省みれば、これもまたアルビジョワ戦争の惨禍の一端でしかないだろう。

#いやなトリビア

「攻撃の成功は歩兵の勇気と精力及び堅忍不抜にかかる」

旧日本軍の悪しき精神主義かな?
残念!1914年のフランス軍「歩兵運用既定」でした!!

とはいえ、グランメソンらが提唱した徹底攻撃主義は、1870年の普仏戦争の屈辱的な大敗北(フランスにとっての1945年8月15日)(続く

を真摯に反省し
「次は絶対に死んでも戦後に国がヤバくなろうともドイツをぶっ殺す(ガンギマリ」
というフランスの殺意の帰結であり、そもそも砲兵火力の充実と攻勢に際して軍団レベルでの火力集中を前提としたものであり、言われるほど不合理ではない。
ぶっちゃけ、西部戦線が時代の狭にある(続く

特異な戦場だったのだろう。

フランスくん、普仏戦争の翌年(まだ、ドイツ軍が賠償金取り立てのために駐留している。)から「戦後処理特別会計」の名目で国家予算の3~4割を軍事費にぶっこんでいて草生えるwww

ワイマール共和国よりはるかに殺意が高いぞw

フランスくん、1911~12年にかけて陸軍参謀総長ジョッフルが
「どうせドイツはベルギーへ侵攻するのだから、先にこっちがベルギーを通ってドイツに攻め込もうZE」
とか言い出していて草www

これで、軍内では穏健派というか日和見主義だというのだから、当時の仏軍上層部の雰囲気は押して知るべし。

「それは血の犠牲によってのみ達成できるものであり、他の全ての考慮は戦争の性質に反するものとして放棄すべきである。」
と1913年の「大部隊の指揮に関する規定」に明記していますので、ぶっちゃけ日本軍の比ではない(;・ω・)

フォッシュ「我が軍の右翼は押されている。中央は崩れかけている。撤退は不可能。状況は最高、これより反撃する。」

日本軍は基本的に火力主義で、日華事変前半は圧倒的な砲兵火力で国民革命軍を粉砕しています。
太平洋戦争序盤の南方作戦も、攻勢で砲兵・航空火力の集中で優位に立てたから快進撃できたかと。香港攻略戦とか特に顕著

「フランスは偉大であり、偉大でなくてはフランスはフランス足り得ない」
という点では、左右ともに一致している気がします。

#いやなトリビア

アレクサンドロス大王が大の「イーリアス」オタクで、常に神々と英雄たちを意識していたことは有名だが、大王の子供じみた性分は時に残忍な事件を引き起こしている。
BC332、ガザの街を攻め落としたアレクサンドロスは、捕虜にしたペルシア人の将軍バティスに対し(続く

踵に革ひもを通して、生きたまま戦車で引きずり回した。

大王は明らかに、憧れの英雄であるアキレウスが倒した宿敵ヘクトールに対し行った、最も残酷な仕打ちを模倣したのだ。

神林長平と弐瓶勉と谷甲州と十文字青と皆川亮二と藤田和日郎と伊藤勢と伊藤悠と石川賢と速水螺旋人と石川博品(敬称略)のファンです。好きなものを、ただ好きだと呟きたい。

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  3. 2020/02/15 00:36:34 公開
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