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「メモ。在日コリアンの来日時期。...」、@kankimura さんからのスレッド

メモ。在日コリアンの来日時期。朝鮮半島では寄留制度(今の住民登録制度)が1942年までなく、戸籍しかなかったので、自らの居住地を離れて移動しても、役所に届ける必要はなかった。だから戦前において、内地に移動した人の多くも寄留簿に登録せず、当時の日本政府もその数を完全に把握できなかった。

加えてある段階までは、朝鮮半島から日本に渡る為には許可が必要だったので、日本で仕事に就く為に「密航」してくる人も多かった。当然の事ながら彼らが寄留簿に登録する筈はなく、これも未登録者が大量に出現する理由になっていた。戦後に比べると、戦前の植民地住民への管理は緩かった訳だ。

現在の在日コリアンに繋がる人々の中で、総動員の一環(ここには募集や官斡旋も含まれる)として内地にやって来た人の割合がどの程度なのか、どこにも正確な数字がないのはこの為。だから、戦後になって密航してきた人がここに交じっても政府にはわからなかった。

内地に存在した、寄留簿(住民票)が朝鮮半島になかった理由は簡単で、徴兵制度(更には義務教育)を実施する予定がなく、個々の住民の所在地を正確に把握する必要がなかったから。逆に内地では徴兵制度を維持するために、正確な住民把握が必要とされた。戸籍だけでは現住所の把握はできませんからね。

因みに日本の住民登録制度は、元来、家族関係を示す戸籍と現住所を示す住民票がリンクされる事で、(マイナンバー等なしでも)住民を管理・統制できるシステムになっているので、このどちらかが欠けても「誰が」「どこに」住んでいるのかわからなくなっています。

なので、在日コリアンのどのくらいがいつ来たのかは、今日、その全体像を知る事は容易ではないのです。だって、それができるなら、植民支配終了後の日本政府は密航者を簡単に見つけ出し、送還することができたはずですからね。

逆に言えば、1942年に朝鮮寄留令が制定されたのは、1944年の徴兵開始が迫っていたから。日本政府は人的資源が枯渇して植民地からの動員に踏み切らざるを得なくなったから、住民登録制度実施した事になります。更に言えば、この住民登録制度があるから、1946年の衆議院選挙実施が視野に入る訳です。

更に書いておけば、「日本に行ったうちのおじいちゃんがどこに連れて行かれたわかりません」の類の話も、実は寄留簿(住民票)がきちんと機能していれば、本来発生しないんですよ。だって住民票に記録が残りますから。

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  2. Kan Kimura
  3. 2020/07/20 13:29:50 公開
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