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「「さむらーいは軽武装だからクソ...」、@rUyaCVtIiRxgC9M さんからのスレッド

「さむらーいは軽武装だからクソ雑魚www」
というこの手の偏見はわりとよく見るが、実際に侍と戦った元朝や李朝・明朝の感想は「あいつら鎧頑丈すぎ!」なんだったんだよな(;´・ω・)

まあ、日本側は日本側で「明兵の鎧堅すぎ!マジやべぇ!!」となていたけど。

だいたい似たような時期(10~12世紀)の日本,
西欧、中東の鎧を見比べてみると、お国柄が出てきて面白い。
この後、ヨーロッパでは鎖帷子を板金で補強していき全身甲冑になるわけですが、日本や中東・インドでは小札鎧や鎖帷子を部分的に板金で補う方向に進化する。

なお、雑兵はろくに鎧を(ry

だいたい似たような時期(10~12世紀)の日本, 西欧、中東の鎧を見比べてみると、お国柄が出てきて面白い...

なお、元ツリーで「槍を両手でもって盾無しで戦うとか~」とよくわからんディスりをしているが、ここでユーラシアを制した天下のモンゴル重騎兵をご覧いただこう。
いや、モンゴル騎兵は場合によっては盾も使うけどね。

槍を構えた地上最強の重騎兵フサリアの勇士をくらえい!!!

11世紀、イングランドを征服したノルマン軍がこんな感じ。(タペストリーなどからかなり正確に再現できる。)

鎖帷子とかゲームでは弱いのでショボく感じるけど、このノルマンディー公の装備一式を整えようと思ったら重要な財産である牛に換算すると十数頭分とかかかる。(サリア法典参照)(続く

鎖帷子は強い弓矢とか、刺突には弱いけど、なんやかんやでちょっとやそっと剣や槍が掠めたぐらいでは傷にならないというのはすごいアドバンテージなのである。
鎖帷子は長持ちするしフリーサイズで使いやすいので、先祖代々大切に使われた。

画像はもっと後の時代、オスマーンな方々の鎖帷子

ランツクネヒト「せやな!」
スペイン方陣「ワイらは超攻撃的なんやで」
アルモガバルス「槍を投げてから短刀一本でカチ込むのが本番(ガチ」

そもそも、民族の戦術思想も糞も、日本で槍/鉾が本格的に普及するのは室町以降で、それ以前は弓矢と刀剣で戦うんだよな(´・ω・)

軍律令でも、鉾持ちの数は弓矢よりすっと少ないし、元寇では「倭人は弓矢・刀を使うが、鉾は持たない」と書かれている始末

スペイン方陣は徹底的な防御陣形なのだが、皮肉が通じないらしい(´・ω・)

なお、アルモガバルスはガチだが、あいつらを欧州のデフォルトにしてはいけない。

そもそも、「盾を列ねて射撃戦をしつつ、敵が崩れたら騎馬/装甲兵が突撃」が基本の日本の合戦を「超攻撃型ですよね。」とかもうね。

まあ、歴史に余り詳しくない人みたいだから、そういう勘違いも仕方ないけど。

なんか、ヤフー知恵袋にリンクを張ってドヤ顔しているっぽいが、その知恵袋で欧州圏で板金鎧の発達にともない手盾の衰退が起きているのに思いっきり間違っているあたりがなんだかな( ;´Д`)

というか、ヤフー知恵袋をソース扱いって・・・

この種の大盾/置き盾は例えばヨーロッパ圏では弩兵や弓兵が好んで用いました。最終的にはイングランド長弓兵のように騎兵突撃に備えて杭を打ったり、ワゴンブルクのような移動式陣地へ発展していますね。
日本でも、戦国時代には車輪を用いた防御盾/竹束が用いられます。

まあ、戦国時代の車輪付き竹束とかは、中国のそれを模倣した感じではありますが。

置き盾(バリケード)を列ねて簡易的な陣地とし、射撃戦で優位に立てたら騎馬/装甲兵を突撃させるというのは、漫画「乙女戦争」のフス派に通じるものがありますね。
なお、中国でも似たような戦術は発展しています。

なお、スペインの宗教がどうとか死生観がどうとか言っているが。
糞雑に言うとカトリックで異教徒殺すべしのスペインも、新教徒で貿易できればオールオッケー☆⌒d(´∀`)ノなオランダも、ぐっちゃぐちゃなドイツ諸邦もそれぞれ独自の工夫をしつつ方陣を組んで戦っているので。まあそんなもんです。

この人、また適当な事を書いているけど、日本の場合は白村江以前は朝鮮半島南部から継続的に鉄を輸入し、畿内で製造・規格化された鉄製武具を軍団(豪族連合→律令制軍団)に配備しているんですよね(´・ω・)

白村江の大敗で大陸から蹴り出された後は国内で鉄の需給(続く

の目途が立ち(いわゆる「たたら製鉄」が本格化するのはこれ以降)、鎌倉時代以降になると刀剣類など鉄製品の輸出を行うようになる。(全盛期には一度に数万振り)

一方で、「唐鉄、天竺鉄、南蛮鉄」など鉄のインゴットも輸入されていたりと、日本における鉄製品の流通はなかなか国際的です(続く

輸入鉄の加工自体は別に珍しくもないというか、「鉄から見た日本の歴史」などでは漢帝国全盛期は全世界で流通する鉄の半分は中国で精製・輸出された物だったと指摘されていますね。
遠くローマ帝国でもシルクロード経由でもたらされる鉄は珍重されたようです。
ここら辺は、以前どなたかが(続く

Twitterでまとめられていたような・・・

なお、日本でも唐鉄など輸入鉄は珍重されましたが、「国産鉄の方が上等!舶来鉄は糞!」という人もいて喧々諤々の論争ががが
ここら辺は、たぶん刀剣クラスタの人たちの方がずっと詳しい。

あと、日本の鎧は鉄鎧→革鎧→鉄鎧と変遷してます>木の鎧云々

どうも、この人には「交易」という概念がないらしい。
せっかく、輸入鉄について解説したのに(;´・ω・)

鉄製品/武具やインゴットの国際的な取引は、それこそ世界中でやっているのにね。

だって、せっかく輸入鉄の話とかしたのに「日本には鉄資源が少ないから武具にはあまり使えません(キリ」とか言い出すから(;´・ω・)

ああ、この人まったく理解できていないんだなとしか。

というか、その「木と布でできた鎧」とやらの実例をぜひ提示して欲しいのですが。

牛の膝の革だけを集めた「膝丸」とかヘンテコな革鎧などはありますが、「木と布でできた鎧」と言われると本気で気になる。
マケドニア兵のリネン鎧みたいなやつかしらん?
それとも、綿甲のことを勘違いしたのかな?

ちなみに、リネン鎧というのはこういうやつ。
リネンの布地をひたすら重ねて圧縮して革や金属で補強している。
なかなか頑丈で実用的だったらしい。

出た!
「俺は知っているけど、お前には教えてやらんから自分で調べろ(キリ」
のパターン( *´艸`)

「いくらでもネットに落ちている」なら、簡単に提示できるはずだよね(*´ω`*)

そんな褒められても困るというか(/ω\)

いや、趣味で集めている画像を適当に張り付けているだけなんですがね。

まあ、どうでもいいけど「木と布でできた鎧」はいずこにありや?

ネトウヨでもなんでもいいけど、「木と布でできた鎧」について詳細を教えてくださいよ。
このままだと、気になって夜しか眠れない( ;´Д`)

あなたが言い出したのだから、あなたが提示しなさい(マジレス
私は日本の鎧(金属鎧・革鎧)の系譜について、画像なども含めて散々提示したはずです。

貴方が満足しようがしまいが、私にはどうでもいいのでさっさと「木の布でできた鎧」について詳細を出してね。

剣道の防具みたいに、竹製の芯材を布で補強したものとか?
もしかして、コートの裏に鉄札などを裏打ちしたタイプのこと?

事実なら、はよ具体例を提示して下さいよ。まぢで。
わりと本気で期待しているんだから(;´・ω・)

ちょっと面白い話を振られたので。
日本刀が輸出品として人気だったのは有名ですが、似たような例として欧州製の刀剣も大航海時代以降はなかなかの人気商品
おかげでメイドイン東南アジアの「ゾーリンゲンの剣」なんて代物が出回ったりしたとか(;´д`)

また、妙なことを言い出した(;´Д`)

中大兄皇子は確かに渡来人を重用し近代化(中華化)を図っているが、彼の経歴をどう解釈したら「朝鮮人の連れてきた天皇」になるのかと・・・

まあ、いいや(´・ω・)

だいたい、朝鮮王族の血統なら箔付けのために喧伝しまくるわい。
大内氏とか全然関係ない癖に箔付けと日明貿易のために「百済王族の末裔」とか吹かしてたぞ。

百済の末裔ならそのものずばり「百済王氏」がいるわい。
律令制時代でも鎮守府将軍を何代も輩出したエリート家系

まあ他にも、信義の怪しい自称も含めたら秦の末裔とか霊帝の子孫とか新羅の王族とか高句麗の王族とかうじゃうじゃいるけど。

なお、この百済王氏(白村江の敗戦後、日本に亡命したガチ百済王族)はエリート技術集団という側面もあり、特に征服し服属させた東北地方での道路整備に名を残しています。
詳しくは「道路の日本史」を参照

今の多賀城から庄内平野にかけての峠道を切り開いたのが、何を隠そう百済王氏である。

坂上田村麻呂も渡来人の家系だが、近代以前の貴族・武家にとって渡来人の子孫であることはなんら恥ではなく、王族/皇族の末裔(自称)であるならばむしろ箔付になる。

足軽と比較すべきはこういう雑兵の鎧
いや、足軽の鎧もこの種の雑兵としてはかなり重装備だけど。

ぶっちゃけ、雑兵の装備なんてものは領主の経済力とか、中古武具の流通に左右されるので何とも言い難いが。
とりあえず、本物の「布の鎧(綿入れ)」をくらえい。

さすがにもう寝るが、あなたは御託はいいから「木と布でできた鎧」を出しなさい。

屁理屈はいいから「木と布でできた鎧」を出しなさい。
特に木!木を骨組みや装甲として加工した鎧というのは真面目に気になるから(´・ω・)

なお、私が例示してきた日本の鎧は、鉄札・革札・鉄板などを絹糸などで結ぶ付けた小札鎧(ラメラーアーマー)で木は使っていない。

日本の場合、古代の鎧は短甲などは鉄板を鋲止めしていたが、やがて小さな鉄札を絹糸・革紐で綴る小札鎧へと進化し大鎧や腹巻へ至る。
この過程で布は鎧のパーツとして用いられているが、知られている限り木は使われていない。

なお、大鎧ではあえて革札を多く使うようだが、これは弓矢に対する防御力は鉄札より革札の方が高いためだとか。
源氏の「膝丸」などは牛革で最も丈夫な膝の革「だけ」を使って作ったという斜め上に恐ろしく高価な鎧であり、それだけのコストをかける価値があったと認識されていたのがわかる。

とうとう、「木と布の鎧」については何も言えなくなったか(;´・ω・)
なお、例示した画像は平安~鎌倉期の郎党(雑兵)の武装だが、この時代だと西洋などでも騎士/戦士階級以外はほとんどまともな鎧など着ていない。
鎖帷子ですら牛何頭とかそういう時代だから。

なるほど、失礼

しかし、どのみちわざと腹巻や具足を出さないあたりの姑息さはアレだけど( ´△`)

で、いい加減「木と布の鎧」はどこさね?

いや、日本のやつを出しなよ( ´△`)
あと、せめて「鎧」ね。

布の鎧の存在自体は、リネン鎧とか教えてあげたでしょ?

だから、その日本兵の「木と布でできた鎧」とやらを(ry

いいから、はよ足軽や郎党ではなく「侍」が軽装甲だったという資料を出しなさい。
あと、「木と布でできた鎧」も無いのなら「在りませんでした。」と素直に言いましょうね。

脚甲が見えないのかと( ´△`)

11世紀のノルマン騎士と武士を比較すると、重量的には大差なく(鎖帷子はかなり重い)、それぞれ鎖帷子と小札鎧という文化の差が出てくる。
なお、どちらも後代には軽量化していく(いわゆる板金鎧も軽量化の一種)

あたまいたい( ´△`)

西洋人「せやな」

あのね、鎧の発展とか普及はその地域の経済状況とかに大きく左右されるの。
「日本人は人命軽視!」とか単純で分かりやすい話ではないの。

古代日本で鉄鎧が普及したのはヤマト王権の力が拡大し、鉄の大量調達・加工・流通が可能になったからだし、百年戦争あたりから騎士以外の雑兵にも鎧が普及しだすのは封建領主の経済力向上や中古武具の流通の活発化があるのです。
人命軽視とか、そんな曖昧な理由ではない。

上のほうで書いたローマと中華の鉄の国際貿易については、こちらでまとめられてました(*´ω`*)

ではお話ししましょう(*´ω`*)

さて

>日本人は何故、自他の命を軽視するのか?兵士の武装観点からの考察、

とのことですが。まず日本に置いて本格的な「鎧」が登場するのはとりあえず古墳時代前後と見做してよいでしょう。
この時代、大和王権は大陸の先進技術を(続く

獲得するため朝鮮半島に対し盛んに軍事介入(オブラートな表現)を行っており、その過程で中華・朝鮮の鉄製武具も導入されます。
これらの武具は埴輪や古墳の副葬品と言う形でかなり詳細が判明しており、大陸からの影響を受けつつ、日本独自のデザインである「短甲」「挂甲」などが生まれました(続く

大和王権は朝鮮半島南部より半製品(インゴット)の形で鉄を輸入し、畿内の部民(朝廷を構成した各種職能民)たちの手である程度規格化された鎧・武具へと加工され、従属する諸豪族に分配されるという形で大和王権は影響力を拡大しました。

加工貿易で勢力を拡大したのが、今の皇室なわけですね(続く

古代の鎧も数百年単位で構造が変化しているのですが、初期のものは鉄板を鋲で留め、時代が下るとより小さい鉄札を紐で綴り合せる形へ進化します。
なお、比較的古い短甲についてはローマのロリカ・セグメンテータとの類似性も指摘されてます。どちらも歩兵用ですので修練進化したのでしょうかね(続く

強力な重装騎兵を擁し、隋の侵攻すら退けた高句麗と対峙するうえで、古代日本(大和王権)は強力な鉄製の武具で身を固める道を選んだわけです。
画像一枚目は後の大鎧の原型となる「挂甲」ですが、トルコやルーシ(ロシア)の鎧とも酷似しており、スタンダードなデザインであることがわかります(続く

さて、ではこれらの鉄鎧の普及率はどうだったのか?
まあ古代のことなので詳細なデータはありませんが、桜塚古墳群など畿内の小規模古墳群では数百単位で発掘されていますので、まあ相当数が量産されていたことは間違いないようです。
壬申の乱では鎧を2枚重ねで着たエピソードもあるので、(続く

日本の鎧は、ファンタジー等でおなじみの板金鎧に比べるとなんかスカスカで弱そうというイメージを持たれることがありますが、ユーラシア大陸全体でみると挂甲~大鎧~腹巻~当世具足はむしろスタンダードなデザインだったりします。

なお、こういう丈長の鎖帷子と補強用の板金を組み合わせる鎧もインドや中東・東欧では人気がありました。
画像一枚目はロシアの英雄ドンスコイ
二枚目はムガル帝国の重装騎兵
三枚目はたぶんポーランドかハンガリーの騎士ですね。
ポーランドでは西欧から輸入した鎧をばらしてパーツ取りしたとか。

マクシミリアン式とかミラノ式の全身甲冑は、完全オーダーメイド(何せ、個人の体格にぴったりと合わせないとまともに動けないので。)であり非常に高くつくので、関節部などをとっぱらいより動きやすくするのはヨーロッパでも流行っていました。

ちなみに、「躱す方が早い」をガチで行くのがこちらのアルモガバルスの皆さんです(*^_^*)
フランス騎士だろうがオスマン騎兵だろうが、投げ槍と肉斬り包丁で仕留める恐怖の軽歩兵集団

日本にも「すはだ者」と呼ばれる、鎧を着ない傾いたツワモノもいたようですが、詳細は良く知らない。

こういうのならあります。
古代の高句麗あたりの重装騎兵ですね。広開土王とかが朝鮮半島北部まで侵攻してきた倭軍にバチコンかました時代のやつ。
割と東北アジアではスタンダードなタイプの鎧で、糞重い。

はるか西のビザンツ帝国なんかも、こういうよく似たスタイルの重装騎兵を擁していました。強力ですが、鎧が重すぎて馬がすぐバテるので、投入するタイミングはシビアだったようです。

こいつらから馬鎧を抜くと、中世前半の武士に近くなります。

とうとう「木と布でできた鎧」は無いから「布の鎧」にシフトしだしたか(´・ω・)
ところで、私は「日本以外」の布の鎧・防具について散々実例を挙げたはずなのだが?

そもそも、いわゆる「プレートアーマー」は西欧圏で特異的に発達した鎧なので
「プレートアーマーが優れているから、欧州は人命重視」
という理屈だと、日本だけで反駆西欧以外の全ての文化圏が人命軽視となってしまう罠

どうも、この人の中では世界は日本と西欧しか存在しないようですが(´・ω・)
世の中には色々な文化圏ごとに独自の甲冑が存在しますし、マクシミリアン式のような体にぴったりと合わせるタイプの板金鎧は世界的に見てかなり特異なものだったりします。

例えば、手持ちの「世界の甲冑・武具歴史図鑑」によれば、東欧ポーランドの騎士たちは西欧やトルコ圏から板金鎧や鎖鎧を輸入し、それをばらしてパーツごとに組み合わせ使っていたようです。
やがて、独自に鎧を生産し始めて世界最強の重装騎兵「フサリア」の鎧へと昇華されたという。(続く

フサリアの全盛期は戦国時代後期~江戸時代前半辺りですが、彼らの鎧は全身を隙間なく覆うのではなく、厚い胴鎧と要所をカバーする手甲や肩当・兜などを組み合わせた、防御力と重量や動きやすさのバランスがとれたものでした。
さて、ポーランド人は「人命軽視」なのでしょうか?(続く

同じような時代に活躍したポーランド騎士と日本武士の「鎧」ですが、どちらがより重装甲なのか、私には断言しかねますね。

なおフサリアはクッソ強いです。何せ、鉄砲マシマシのオスマン・トルコ軍をぶちのめすために鍛え上げられた究極の重装騎兵なので。

神林長平と弐瓶勉と谷甲州と十文字青と皆川亮二と藤田和日郎と伊藤勢と伊藤悠と石川賢と速水螺旋人と石川博品(敬称略)のファンです。好きなものを、ただ好きだと呟きたい。

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  3. 2020/08/18 20:58:43 公開
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