「そもそも男女共同参画社会はもう...」、@satetu4401 さんからのスレッド
そもそも男女共同参画社会はもう現代的価値観ではないですよ、今のそれは1960年に生まれた60年前の思想で、現世代で二馬力で必死に働きたい人間は殆ど居ないでしょ
この思想が生まれたのは20世紀後半の企業が育つ時代、労働者需要が高まって簡単な仕事が月収50万とかになってたからだしな
企業が育つ、簡単な仕事で50万貰える「こりゃ家事なんかやってる場合じゃねえ!」というわけですね
それと同時に「男は外からこんなに金を持って帰って来るようになったのに女は相変わらず」という状況が専業主婦蔑視を急速に育てた
企業の急成長、欲望と圧力、その両方が育んだ価値観だな
しかし人間の欲望には物理的な上限があり、企業の急成長は永遠ではなかった
道路を敷きつくし、ビルも必要な分は建てつくした、食料も衣類も住居も、あるいは家電製品だって必要な物は概ね揃いきった
音楽だって今じゃ月額聞き放題プランで人々の耳を奪い合ってる状態だしな
となると企業が利益を挙げる方法が変わるわな
売り上げの増加が止まったあと出来るのは「支出の削減」だ、それで人件費の削減が始まって、誰でも出来る仕事は昔の半分くらいの給料しか出なくなった
いまや給料が高いのは、需要の拡大が見込めるIT産業や先端テクノロジーだけで他は軒並みギリギリだ
こうなるとどうなるか「外に出なきゃ儲け損なうぞ」という欲望がなくなる。「俺はこんなに稼いでいるのに」なんて言える男も大幅に減少する
それに伴って大部分の産業では「もう成長の見込みがなく昔ほど儲からないのだから自由と余暇が欲しい」という層が増加している
現代はもう、男女共同参画が生まれた時代とは「社会に参加する価値」「社会からの報酬」の両方が大きく下がってるわけよ
多くの産業では現状維持しかやる事が無いし、それ故に報酬も下がっている。子供を大学にやる金も手に入らないくらいにな
そして、現状維持なら「新しい知識」は必要無いから、企業は大卒を求めなくなったし、その分の給料も払わなくなった
これによって一時的に加熱した大学教育熱も終わりだ、需要拡大中の最先端産業以外には「新しい知識」需要が無いからな
人間の思想という物は環境に育まれるものだ、環境が変われば、考え方が変わる
田舎の農村向けの思想から、都会の成長期向けの思想に変わり、維持期の思想に移り変わったあたりが現代だ
先端分野はまだ「成長期」だが社会の大部分は「維持期」である。ここで同じ時代でも思想の差があるわけ
先端分野に居る人間は「まだまだ知識が必要だし、女性の活躍も必要だ」って言う、だって需要あるし、ポストあるし、給料高いし
一方で現状維持分野に居る人間は「もう知識は必要ないし、人手を増やして余暇を作るべきだ」って言う、需要増止まってるし、ポスト無いし、給料も低いしな
勝ち組、負け組、先進的、反先進的というのは小さい視点であって、大きな視点で見れば「まだ発展の余地があって投資が盛んで人手がいる世界」と「もう発展の余地がないので投資が少なく人手がいらない世界」の差なのだ
そして、こうした溝は教育だの法律だので埋めることは決して事はできない
1960年代の夢に生きる老人や二世三世が男女共同参画を望もう「もうそういう時代ではない」と言う事だ。多くの産業は急成長するほどの余地がない
後進国にはまだ需要があるが、日本もまだ未発達な20世紀後半なら兎も角、これだけ完成された国から需要のためだけに後進国に移り住むのはキツい
国として完成された先進国に残されている成長産業は「自国に居ながら後進国需要を掘り起こせるWebサービスやソフトウェア産業」とか「他国が輸入したがる程の最新テクノロジー」あたりにどうしても限定されてしまう
後はかなり無理して内需を掘り起こすことになる。昔のような楽な仕事ではない
現状、一部はまだ「先進的」な思想が主流だ。だが多くの部分はもうその思想が通用する状態ではなくなった。かと言って「田舎の農村」の思想に戻ることは出来ない
伝統的な思想は、田舎の環境が強い男を必要としていることから来ているので、それらが不要な都会に持ち込む事はできない
田舎の古い伝統に戻る事はできず、かといって1960年生まれの古い理想を信じ続けられるほどの発展速度も無い。そういう時代に生きる若者は、少しずつ新たな思想を作りつつある
俺達は既に「現代」と呼ばれた時代を通り過ぎてしまったのだ。今は名もなき時代の転換期である