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「とある小さな王国に、ほどほどに...」、@alkali_acid さんからのスレッド

とある小さな王国に、ほどほどに賢くほどほどに気立てがよくほどほどに器量の良い妃がいた。

欠点らしい欠点というものはなかったが、まずいことに親戚がいなかった。

誰でも知っているように、

妃の値打ちは賢さでも気立てでも器量でもない。

親戚である。

どれぐらい金持ちの父がいるか、どれぐらい勇猛な兄や弟がいるか、どれぐらい顔の広い母がいるか。

そういったことがすべてだ。

従っていずれ妃は、親戚のいっぱいいるほかの姫にとってかわられ、婚姻をなかったことにされ、

「気が狂った」

とかなんとか言われ、どこかの塔に閉じ込められてしまうと思われていた。

妃の方もそんな予感がしていたので、幽閉されても心配ないように趣味を持っておこうと考えていた。

色々試したすえに性に合うと思ったのが豆選びだ。

大きい豆と小さい豆、良い豆と悪い豆、古い豆と新しい豆。

そういうものをせっせと選り分ける作業である。

黙々と独りでできる。

王が狩りから戻ってくると、妃はいつも豆を選っていた。

「妃よ。何をしているのか」
「豆を選(え)っています」
「そうか…楽しいか?」
「いえ。楽しいというほどのものでは」
「ふむ。晩餐は猪だ。予が槍で仕留めた」
「流石でいらっしゃいます。お怪我はありませんか?」
「少しもな」

猪肉の焙り焼きに煮豆が添えられた。
猪はよく肥えていて、豆はよいのが選ばれていた。
相伴にあずかる廷臣に特に不満はなかった。

豆はよく宮廷でもよく食卓に出るのだ。
ことによっては麺麭よりも多い場合がある。

ところで王は金持ちではなかったが妃に兄弟がいなくても余りあるほど勇猛であった。

狩りが好きで戦も嫌いではなかったが、戦の方は物入りなので国の小ささを考えてめったにしなかった。

だがまったくしないという訳にもいかないものである。

妃は武運を祈り、手ずから木槌でよい豆を潰して乾かした糧食を王に渡した。

「水がありましたら、煮てお食べ下さい」
「うむ」

王は騎士を率いて出かけていった。
妃は玉座について王の代わりにあれこれをさばいた。

ほどほどに賢くほどほどに気立てがよかったので、ほどほどに訴えに耳を傾け、誰しもがほどほどに納得がいく命を下した。

王と軍勢が秋までに戻って来ず、報せもなかったので、妃は三人の騎士を遣わせて安否を確かめさせる一方、夜は豆を選って過ごした。

冬になる前に騎士のうち一人が戻ってきて、王は敵に捕らわれているようだと教えた。

妃は考えてから、国で一番古い僧院から学があり弁の立つ僧侶を招いて、敵のもとに送り、王を解き放ってくれるよう説得してくれないかと頼んだ。

「身代金を求めるならば、私にあたう限り払いましょう。指輪も首飾りも、私が持っているすべてを差し上げましょう」

僧侶は不安そうだった。

何せ妃には親戚がいない。いざ身代金を払う段になって黄金や宝石や荘園を都合してくれる父親もいないのだ。

「もし向こうの求めが大きすぎたら、お妃様。いかがいたしましょう」
「とにかく払うと。何であれ」

妃は昼はほどほどに国のことをさばき続けながら、夜は豆を選って過ごした。

歳が変わるまえに王は戻って来た。率いていった騎士も。
ほかにも数多くの供を連れて。美しい絨毯や水晶瓶に入った香油、見たこともない優美な雄馬に雌馬。淡い金に輝く毛並みを持つ羊、真紅のとさかと青白い羽の鶏。

七弦の琴を奏で歌う女の詩人、先の広い金管を吹き鳴らして跳ねる男の踊子、鮮やかに着飾った少年の鼓手。

漆黒の肌をした屈強な力士四人が担いだ輿に、王は乗っていた。側に黒髪の美しい姫を侍らせて。

迎えに出た妃を、異国の王女は品定めするように眺めやった。

「小さなお城の侍女よ。この国の妃はどこです」
「私が妃です。とつくにの方」
「まあそうでしたか」

姫はにこやかに告げた。

「妃よ。使いから話は聞きました。王を返すなら、あなたの持つものを何でも譲るそうですね」
「ええ。指輪でも首飾りでも。私が持つものはすべて」
「では妃の位を望みます」

そう言ってから王を抱きしめる。

王はしばらく姫のしたいようにさせてからゆっくり振りほどくと、妃に告げた。

「そなたは玉座にあれ。予が位を退く」
「いいえ。王よ。ここはあなたの国」

異国の姫は、引き連れてきた供と一緒にあっさりと宗旨を変えて、僧侶の前で王との愛を誓った。

妃との婚姻ははじめから手違いでなかったことになった。

今の妃は元の妃に命じた。

「さあお帰りなさい。あなたの親戚のところへ」
「親戚はありません」

今の妃は瞬きした。

「変わっていますこと。でも手間が省けました。ではあなたの行くところは私が決めてあげます。ここからずっとずっと南。海を渡った先に孤島が一つあって、塔が立っています。隙間風は入りますが、まだ寝起きができます。あなたはそこで過ごしなさい」

元の妃は答えた。

「豆を持って行きます」
「豆を?どうぞ」

今の妃が空に向かって手を差し招くと、すっぽりと城をおおってしまいそうに大きな鳥が降りてきて、獲物を鷲掴むとすぐに飛び立ち、空を過り海を渡っていった。

王はあとになってことの次第を知ったが時すでに遅し。
新しい妃は前の妃のことなど忘れるよう日々宴を催し、珍しい風物を次々披露して気を逸らせようとした。

新しい妃には沢山の親戚がおり、宗旨が異なっていたが多くは金持ちで、また勇猛な騎士も数知れぬほどいた。

新しい妃自身は、異国風ではあったがとびきりの美貌で、おまけに本人も男装して戦うと無敵の剛勇を誇った。

実のところ戦の一騎打ちで王を生け捕りにしたのはこの新しい妃であった。

新しい妃は王を誘ってともに狩りに出かけ、盛んに獲物をしとめ、野での苦楽を分かち合った。武勇に関する談義にもよくなじみ、しかし一度生け捕りにした以降は決して王を辱めたり恥じ入らせたりするような真似はしなかった。

新しい妃は、すっかり凛々しい王に惚れ込んでいたから。

王は自ら元の妃を探しに行こうとし、あるいは騎士に命じて調べさせようとしたが、どちらも不可能だった。

新しい妃の兄弟や従兄弟が、国に居付き、宗旨替えしてあらたな廷臣となっていて、以前からいる騎士と轡を並べるようになっていた。

かつての敵同士の間柄とはいえ屈託なく接したが、前の妃のゆくえを求めることだけは許さず、国境を超えようとすればすぐに察知して、馬を飛ばして道を遮り、叩き伏せて追い返した。

そうこうするうちに王は新しい妃に閨に引き入れられ、子を設けた。いくたりもいくたりも。

全部で七人の王子と五人の王女で、いずれも珠のようにかわいらしく、利発で、気品があった。

小さな国はすっかり豊かになった。

それはそうとして元の妃の話である。

隙間風の吹く塔に降ろされると、あちこちを見て回った。上の方の階に窓はあったが下の方に出入口というものはなかった。

妃はしばらく考えてから、窓の外に豆を蒔いた。

それから頬杖をついて過ごした。
選る豆がないと退屈だった。はじめのうちは何度か大きな鳥がやってきて、麺麭や葡萄酒を置いていった。

妃は少しだけ食べてとっておいた。
やがて鳥は来なくなった。

塔の窓の外を眺めると、豆は蔓を伸ばし始めていた。

窓まで伸びるにはどれぐらいがかかるだろうと考えてみた。ずいぶんかかりそうだった。

しかしほかにすることもない。麺麭のかけらをかじりながら、鼠もいない塔でただできる限り風の通らない場所に丸まって過ごした。

新月の晩。天には雲が厚く垂れこめて、しとしとと雨が降り始めた。当然のように古い塔は漏った。

妃は溜息をついてなるたけ乾いていそうなところを探そうとしたが、闇の中では転ぶとあきらめた。

やがて何かがひたひたと足に触れる。水ではないようだった。

「あまり太っていないな」

口をきいたのだった。

妃はすくんで一言も発せなかったが、ひたひたしたものはだんだんと足を這い上ってくる。

「食いでがない。しかし何もないよりはましだ」
「もうちょっと…待ってもらえたら」

妃は切り出した。

「豆が…実るかもしれません」
「豆だと?俺が食いたいのは肉だ。柔らかい女の肉だ」
「豆をたくさん食べれば…そうなるかもしれません」
「豆で肉が育つだと?もっとましな命乞いをしろ」
「豆は…付け合わせにもよいものです」
「肉に豆を添えるだと!うん…悪くはないな」

ひたひたしたものはいったん引き下がった。

「どれぐらいかかる」
「二月ほど…でしょうか」
「二月!それまでにお前は痩せて死ぬだろう。だったら今食った方がいい」
「でも…豆は詰め物にもなります」
「肉に豆を詰めるだと!…悪くないな…」

ひとまずひたひたしたものは妃を食べるのを控えたようだった。

妃は震えを悟られまいとしながらまんじりともせず夜を過ごした。

朝になると足元に魚が一匹置いてあった。

妃はこわごわと眺め、結局手をつけなかった。
お腹はとても空いていたが。

夜になると、ひたひたしたものの憤懣の声が聞こえ、朝になると魚はなくなっていて、かわりに藪苺の実が一山置いてあった。

季節外れに思えたが、妃はおそるおそる指を伸ばしてつまんだ。どこかなまぐさい味がしたが甘酸っぱさが補って、さらに飢えが最良の味付けになった。

気付くとぺろりと平らげていた。

妃は落ち着かないながらも育ちにふさわしく、ふるまいを謹んで過ごした。豆はまだ芽も出さないようだった。

塔の石積みを一つ一つ見てはいったいいつごろ建ったのかに思い、国の小さな城より古いかもしれないと考え、王の顔を心に浮かべてはまた黙りこくって時を過ごした。

夜になるとひたひたしたものの気配があった。

「手間のかかるやつだ」
「礼を言います。見知らぬおかた」
「なら太ってやわらかい肉になれ」
「豆にふさわしいようにでしょうか」
「そうだ。豆にふさわしくな」
「でしたら、豆に水をやっていただけませんか」
「そのうちまた雨が降る」
「少しだけ」

やわらかい木の芽とか、赤い血蕪とかが餌として与えられた。春夏秋冬を問わず出てくる実りに、妃はけげんな気持ちだった。とにかく食べものではあった。いずれもすこしなまぐさいが、味はよかった。

「重ねて礼を言います。見知らぬおかた」
「すこしも太ってみえないぞ!俺が痩せるばかりだ」

ひたひたしたものの話はよく解らなかったが、妃はつつましく言葉を差し控えた。ほどほどに賢い女であったので。

そうこうするうちに豆の蔓は伸び始めた。塔の傷んだ外壁を這い登り、葉を茂らせた。

「実ったらあの豆をお前に詰めて食う」
「豆はすり潰し上にかけるのにもよいものです」
「それだ!」

だが妃は倒れた。隙間風の吹きこむ塔で寝起きしていれば当然だ。

「やめろ!痩せる!痩せてしまう!なんてことだ!苦労が水の泡だ」
「申し訳…ありません…王よ…」
「なんて手間のかかる肉だ!」
「寒う…ござい…ます…ね…王よ…毛皮を一枚…かけて…さしあげ…ねば…誰か…」
「毛皮だと!」

ひたひたしたものは妃におおいかぶさり、なまぐさい毛皮ですっぽりと包み込んだ。

湿っていたが温かかった。

しばらくし妃は石積みの隙間から差し込む朝日を浴びて目を覚ました。かたわらに誰かが寝ている。

つい目を向けると、そこに寝ていたのは異国風の顔立ちをした黒髪の美丈夫、などではもちろんなく、鰭と鰓と鼠めいた毛皮を持ったおかしな怪物だった。

ほどほどに賢い女ではあったが、別に英雄という訳でもなかったので悲鳴を上げた。

怪物は寝ぼけ眼を開き、同時に体のそこかしこから草苺の花を咲かせた。毛むくじゃらの腹から生きた魚が一匹飛び出したが、すぐに顎が咥えとってまた腹に収める。

「痩せたな!痩せるなと言ったのに!」

妃は両の手で口をふさぎ、あふれる声を抑えると、震えながら後退った。

怪物は花が散って虫の助けもなく実った藪苺をむしって口に運びながら、不満げにねめつける。

「さんざん俺から出たものを食っておいて随分だな」
「ああ…私…私…そんな」
「その癖つけた肉をまた減らして!なんてやつだ!」

妃は品のないまねをせず、静かに気を失った。

もう一度起きると、怪物はどこにもいなかった。

かわりに野葡萄が一房置いてあった。
とても口にする気にならなったが。

「それは俺から出たものじゃない」

階下から不機嫌そうな声が告げる。

「おやつにしようとさっきとったやつだ」
「…私に…下さるのですか」
「肉をつけろ。豆にふさわしい肉を」
「…まあ…豆にふさわしくなれるかはとても…」

とはいえ妃は野葡萄を一粒とってはんだ。すっぱくて、しかし、ちっともなまぐさくはなかった。物足りないように思えるのは気のせいだろうか。

「もう病になるな」
「病は天の思し召しです…私にはいかようにもできません」
「いいや!俺の父親は病を防げたぞ!」

怪物に父親がいると聞いて、妃は目を丸くしたが、しかしほどほどに気立てがよかったのでそれで済ませた。

「もっと水をいただければ」
「水だと?!」

怪物は、干した海綿にたっぷり真水をひたしてもってきた。幾つも幾つも。

妃はまず絞って飲み、それから残りで身を清め、髪を洗った。

ほかにも歯を磨きせせる草の茎や蔓糸やら、痛みを抑えるあれこれの薬の素を求めた。島にあるものもあればないものもあった。

一枚の服を脱いでは洗い、洗ってはまた着た。

怪物は干した海綿をさらに沢山とってきて、隙間風の吹きこむところに詰めた。

「火を起したいのですが」
「火は嫌いだ」
「豆を煮たり焼いたりするのにも」
「火は嫌いだ!熱い!」

だが怪物は流木を集めてくると、猛烈な勢いでこすり合わせて火を起した。

塔の屋上へ出る梯子の穴を煙突がわりにして暖をとった。

怪物は火が嫌いで、鼠のように窓から出て外の壁の凸凹を伝いおりていってしまう。

しかし熾になり煙ものぼらなくなるころには戻ってきて流木の薪を置いていく。

妃はどうにか病を癒し、痩せなくなった。

怪物の体から出る食べものも、少しずつ口にした。

「何でも出せるのでしょうか」
「食べたものだけだ。それに鼠とか鴎とかはうまくいかない。鼠は一匹ぐらい残しておくんだった!増えない!」

妃はまたおぞけをふるったがほどほどの気立てのよさでもってこらえた。

「礼を言います。見知らぬ」

もう見知らぬ相手ではない。

「塔の主」
「俺はこの塔の主なんかじゃない。たまたま姉に置いていかれただけだ!」

怪物に父親のみか姉もいると聞いても、妃はもう驚きをおもてには表さなかった。

「あなたを何と呼びましょう」
「何だっていい!お前は肉だ!」

妃は微笑んだ。
それから怪物にまた藪苺を所望した。
なまぐさみも慣れれば悪くなかった。それに季節を問わずいつも瑞々しく旬の味がする。

やがて豆は実った。貧弱なものだったが、どっさり摘んできたものを、妃はやっと心ゆくまで選り分けた。

大きなもの、小さなもの、形のよいの悪いの。

「これは次に蒔くのにお使いなさい。これは打って干すのに…これは火を通して食べるのに」
「めんどうくさい!」

火の上に平らな石を置き、よい豆を並べて炒ると、木の棒でとって広い葉に移し、怪物に献じる。

「どうぞ」
「豆の扱いだけはできるらしいな!どれ!」

炒った豆を食べた怪物は有頂天になった。

「これはうまい!これはうまい!」

妃は口に手を当てて笑いを隠した。

「次は詰め物に添え物だ!さあやれ!肉にやれ!」
「料理人を呼ばれませ」
「何だと!」

怪物が惑うと、妃は諭した。

「私は一人しかおりません」
「…なるほどそうだな!そうだ!」

怪物はしばらく壁や天井を駆けまわってから戻って来た。

「やり方はあとで考える。まずもっと豆だ!」
「穫れた分はあれだけ」
「何だと!見てろ!」

怪物は蒔くようの豆を全部口に流し込むと、全身から蔓を伸ばして葉を茂らせ、紫の花をあまた咲かせ、豆の莢を成らせた。

「さあ!やれ!」

妃は莢をとって割り、豆粒を取り出して集め、選り分け始めた。

大小の粒は揃わず色もばらばらだった。

瑠璃の玉のような一つをとってしげしげと見やる。

「これは…蒔くのがよいでしょうか」
「何でもいい!うまくやれ!」

怪物から成った豆を塔の下に蒔くと、数日のうちに妖しげなほどの育ちのよさでぐんぐんと大きくなり、ついに蔓は塔の窓まで達した。

怪物は喜んで莢を集めまとめて妃によこした。

妃は選り分けをはじめたが、中には両の掌よりも大きく、固く、とても割れないものもあった。怪物がなんとか粒をほじり出したが、あとにはいびつな杯のような殻が残った。

火にくべようとしたが焙っても薄ら焦げ目がつくだけなので、煮炊きの器にした。

ある豆は豚の肝ほどもあり、焙って食べるとそれだけで腹がくちくなる量があった。

またある豆は見た目はつややかな緑で美しいが、味はしぶく、とても食すのに適さなかった。

それでも妃は豆のくせをひとつひとつ覚えて選り分けた。

怪物は生のまま食べてまた葉ぶり花ぶりの違う豆を生やしもすれば、火の通ったものを食べてただ舌鼓を打つこともあった。

いつの間にか塔はすっぽりと豆の蔓でおおわれ、隙間風の入る余地もなくなった。

魚の味のする豆、藪苺の味のする豆、野葡萄の味のする豆、鴎の味のする豆。

妃は豆を選り分け、選り分け、選り分け、新種を見つけるとくすりとして別の場所に置いた。塔の階下にはさまざまな豆が、甕のような莢に収まって並んだ。

夜にも油をたっぷり含んで灯明のようにゆっくり燃える豆が光を齎し、

妃はぞんぶんに豆選びができた。

望めば窓から伸びる蔓を伝いおりて、塔の外へ出ることもできた。島は思いのほか大きかったが、岸に立って見渡す海は帆影一つなく、どこへ行くこともできなかった。

散策を終えると、また塔に戻って豆を選(え)る。

豆は代を重ね、ありとあらゆる色、形、味に分かれたせいで、もう食べるものは事足りていたが、時々また怪物が生やす薮苺や野葡萄も味わうことがあった。

なまぐささがだいぶ減ったようだった。怪物も豆ばかり食べているせいだろうか。

「あとどれほど太りましょう」
「何?豆の方が大事だ!」

肉より豆に関心を移したようだった。
怪物そのものも何となく魚でも鼠でもなく、豆の蔓の塊のようなようすになり始めていた。

「塔の主よ」
「俺は塔の主じゃない!呼ぶなら豆の主と呼べ!」
「豆の主。ふふ」

莢で口元を隠して妃は笑う。

豆の主は何がおかしいのか見当もつかないようすだった。

「おい肉よ。いや肉はどうでもいいな。豆選びよ」
「何でしょうか」
「今日はあれを食べるぞ」

鳥の豆と魚の豆の煮たもの。一番大きな莢にたくさん水を張ってよく燃える殻を焚く。

怪物は慣れたようすでてきぱきと働いて好物を仕上げると、妃にも分け与えた。

「うまいか!うまいか!」
「ええ。豆の主よ」
「そうか!面白いな!お前がうまいと俺もうまいぞ!どうしてだろうな!父親や母親や姉と食ったものもうまかった!なぜだろうな!」
「どうして一人でいるのですか」
「置いて行かれたのだ!」

怪物は満腹でひっくりかえりながらもぞもぞと葉を揺らした。

「あれは母親が死んで、父親が死んで…死んでなかったか?俺は腹が減って、姉の育てていた鳥をつい食べて…だがすぐ元通り出したんだ!後にも先にも食べた鳥を出せたのはあれっきりだ!姉が気付く前に!」

もう、以前と違って、ちっともひたひていない、ざわざわしたものは、背を塔の床にこすりつけた。

「だけど姉は勘づいたらしかった。食べたあと出した鳥はやけに大きくなったからな。それでばれたのかもな!姉は鳥に俺を捨てさせた。ここだ!鼠と鴎以外にろくに肉もない…鼠…鼠は出せるかな」

妃は咳払いした。

「おやめなさい」
「そうだな…鴎…鴎は出せるかな…出せるかもしれないぞ。今ならできるぞ。何せこのところ腹いっぱい食べているからな」

怪物はじたばたもがくと、やがてひときわ太く長い蔓を伸ばした。一輪だけ大きな花が咲き、豆の莢が成る。

怪物はそのままひきつれて動かなくなった。
妃はぎょっとしたが、鉄のように固い莢でできた短刀で、新しく実った豆の莢を切り取り、中を割った。

中には豆粒のかわりに、卵がいくつも詰まっていた。
鴎の卵が。

怪物は二日ほど気を失って起きず、そのまま死ぬかにみえたが、やがてまた動き出した。

卵は火の熱がほんのりとあたる距離に置いていたが、孵るかどうかはあやしかった。

怪物は卵を食べたがった。妃は呆れた気持ちを表には出さず、茹でて渡した。すると相手は殻ごとむしゃむしゃと食べた。

「やっぱり鳥はだめだ。鳥を出そうとするとおかしくなる。魚までだな。だが豆が一番だ。豆が一番だ。豆選びよ!もっと豆だ!!」

怪物は豆を食べ続け、妃は豆を選り分け続けた。

もうめったに小さな国や、王のことを思い出さなくなっていった。

時には、明け方前に城のふしどの中でふと起きて、何げなく覗き込んだ連れ合いの、少年のように若々しい面差しが、前ぶれもなく蘇ってくることもあったが。

「豆選び!また痩せてきたぞ」
「肉をおあがりになるなら、早いうちに」
「豆が大事だ!豆を選る仕事がある!」

妃は島についてからそれなりに長く生きた。豆は命を随分と長らえさせたのだった。けれども老いが迫ってくるよりもずっと先に、死の床についた。

「豆選び!太れ!やわらかい肉をつけろ」
「…豆の主…どうか…許して…あなたが…食べたいものを…上げなかった」
「豆を選る仕事があるぞ!」

妃が息を引き取ると、怪物は葉をざわめかせ、蔦をのたうたせながら周囲を転げまわり、花を咲かせては萎ませた。

「豆選び!豆選び!おい!豆を選り分ける仕事があるぞ!うまい豆を!どれがどの味で、蒔くやつで、干すやつだ!おい!おい!」

さんざん暴れてから、やがて怪物は静かになった。

それからとっておきのおやつの豆を屍の周囲に添えると、大きな顎を開き、むしゃむしゃとすべてを食らい尽くした。

「うまかった!うまかった!」

そうして自分も動かなくなった。

怪物からは大きな蔓が生えて窓から飛び出し、塔をぐるぐると何巻きもしたあと、天に向かってさらに先を伸ばし、太陽と競り合うように大輪の紫の花を一つ咲かせると、やがて萎れさせ、豆の莢をつけた。

豆の莢は何年もの間そのままぶらさがっていた。
塔に巻き付いた蔓は色あせ、固くなり、石のように見えた。

とうとう莢は割れた。
中には、少女が一人、身を丸めて眠っていた。

娘は目を覚ますと、ぼんやりあたりを見回した。

「豆の主…?選り分ける豆はどちらに?」

けれども誰も返事はしなかった。

少女はやがて、蔓を伝いおりて、塔に入った。怪物はじっとしていた。息もしていなかった。葉という葉は枯れ落ちてしまっていて、あとには鰭もなければ毛皮もない、何だかよく解らない黒ずんだ塊があった。

「豆の主。おかげんはいかが」

といって、どう介抱したらよいものか。

あるいはもう誰の手助けもいらないかもしれない。

少女は豆の主のようすを見ながら、生えては実る色とりどりの豆を獲り入れ、選り分けて過ごした。

春夏秋冬はめぐったが、もはや暑さや寒さが身にこたえることもなく、ただ島の眺めが変わり、花の香りや鳥の声に移ろいを知るだけだった。

大きな豆の莢の船を浮かべて漕ぎ出してみることもあったが、遠くまで渡るすべは解らなかったし、怪物のそばを離れる気持ちにもなれなかった。

ただただ豆を選って過ごした。
黙々と独りでできるのがよかった。

ある時、羽搏きの音がして、塔を大きな影がおおった。
背中から一人の若者が降り立って、反身の剣を抜いて塔を降って来た。

少女はつい夢中で豆を選っていて騒ぎに気付かなかった。おまけに長い髪のほかは肌を隠すものもなかったから、はと我に返ったときは窮してしまった。

「美しい娘よ。なぜこんなところに一人でいるのです」
「……豆を選っているのです。それが…仕事なものですから」

髪をまといつかせなあら、少女は若者のぶしつけな眼差しから逃れようとした。

「どうか…あちらを向いていただけないでしょうか」

だが若者は頼みを聞かなかった。そういう慎みは持ち合わせなかった。黒髪にすごぶるつきの美貌。いかにも気位の高そうな面立ち。

抜き身の刃を慣れたようすで手にした佇まいは少壮にして剛勇を感じさせる。しかし賢くも気立てがよくもない。

豊かな国で、思うがままに育った王子だった。

「娘よ。もしやお前は呪われた怪物のはしためか」
「どうか…このままお話することはできかねます」

王子はじっくりと、ほどほどに美しく、ほどほどに気立てがよさそうな少女を隅から隅まで品定めした。

「僕をたぶらかそうなどとしない方がいいぞ」

塔のてっぺに止まった大きな鳥が鉤爪で天井の石を引きはがそうとする音が響いた。

「僕の祖母は南の偉大な神秘と不思議の国の出だ。僕にもいささかの心得がある。祖母はかつて、邪悪な怪物をここに封じた。子孫が近づかぬよう言い残して」

王子は切っ先を少女に向けた。

ほどほどに賢くほどほどに気立てが良くても、一糸まとわぬ姿で男から武器を向けられば、何ができよう。

だが娘はすっくと立ちあがると、もはや肌を隠そうともせずまっすぐに見返した。

「立ち去りなさい。あなたは招かれざるもの」

思いもよらぬ厳めしい言葉に、

若者は狼狽すると、武器を引き、一瞬後退った。

だが頭上で大鳥が猛々しく鳴くと、傲りを蘇らせて、はっしと少女の頬を張った。

頽れるものと思ったが、娘はごうも動かなかった。

王子は青ざめ、剣を握る拳を白くしたが、また言葉を紡いだ。

「僕は祖母さえ恐れた怪物を屠り、玉座にふさわしい功業を成し遂げるために来た。さあお前の主のところに案内するがいい魔女め」

ほどほどに器量のよい少女は、しかし危地にあってはほどほどの賢さや、ほどほどの気立てのよさを発揮せず、ただ冷たく厳しいまなざしを返すだけだった。

王子は再び恥じ入り、気づけば刃を鞘に戻していた。だが大鳥の叫びがまた何かを掻き立てる。

「従わぬなら、従わせるまでだ」

王子は少女と目線を合わせぬようにしながら、手首を捕え、引き寄せて抱きすくめようとした。

大鳥の勝ち誇った叫びがまた響く。

「肉だ!」

黒ずんだ塊が思い出したように叫び出し、いきなり手近な餌食にとびかかった。

怪物はあっさりと王子を少女からもぎ離すと一口で平らげてしまった。

「何てことだ!豆の方がうまい!」

塔の天井が裂け、恐ろしい禽のくちばしと爛々と燃える眼が覗く。

「や!覚えがあるぞ…やはり食べた鳥を出すのはだめだ!また戻そう!」

大鳥が歯のついた嘴を開けるのと同時に怪物もまた顎を開いて噛みつこうとした。どちらも己が食べる側だと思い込んでいた。

「豆の主!」

少女は叫んでから、はじめて慎ましさを捨て、灯明のように燃える油の多い豆を莢の器ごと掴んで、大鳥の片目に投げつけた。

しばらく古ぼけた塔をゆすぶり、きしませる争いが続いたが、とうとうかたはついた。どちらがどちらを食べたのかはたいした問題ではない。あとにはひとつしか残らなかった。

「何てことだ!やっぱり豆の方がうまい!」

怪物はいつのまにか生えた二枚の翼を羽搏かせて風を巻き起こしてから折り畳んで縮め、あこれと苦労して縮めると、今度は黒髪にすごぶるつきの美貌の若者の姿になった。

「肉だ。だが豆の方がいい」
「どの豆にしましょう」

少女は、なつかしい誰かに似た風貌を得た怪物に、つとめて穏やかに話しかける。

「よしそれなら…いや待てよ!まだ食べたことのない豆を探しに行くのもいい!」

大鳥になった怪物は、鉤爪の生えた足で、豆選びの娘をひっつかむと、天高く飛び立った。

豆の莢から生まれた娘は、思わず悲鳴を漏らしそうになったが、ほどほどに賢く、ほどほどに気立てがよく、ほどほどに器量がよかったので、面目を失うような取り乱したまねは控え、久方ぶりの空の旅に身を任せた。

何せまた、趣味の豆選びに関することであったから。

おしまい。

R-18小説サイト管理人。おねショタ大好き

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  3. 2020/09/21 16:41:27 公開
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