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「大統領選挙というのは制度化され...」、@oxomckoe さんからのスレッド

大統領選挙というのは制度化された内戦みたいなところがあるので、驚きはするが不思議ではない。ただ今回(というか今後)分からないのは、こういう手合いを抑制するアメリカン・デモクラシーの均衡が崩れていることで、それを理解するには、1970年代以降のアメリカ政治の再検討が必要かと思います。

古い話で申し訳ないがアメリカはそもそもイギリス本国にこんな感じで襲いかかって独立したのです。1796年の第二代大統領選挙以来、不穏なことは何度もありました。しかしその度にもう一つの反発力が働いてかろうじて統合を維持してきたのです。この戻る力がクリントン以降スポンジのように弱くなった。

1760年の破綻事例(南北戦争)は、連邦と州という二つの政府の対立である程度は整理できたのですが、クリントン政権で、「右(州権論)」と「左(連邦政府)」という二つの国民の他に「上」と「下」ができたことで、リベラリズムという抑制の原理の底が抜け始めたのだと私は見ています。

始まりはロナルド・レーガンでしたが、あの頃は冷戦があった。しかし冷戦に勝利したアメリカが抑制力を失ったことの意味は大きかったと思われます。第二次世界大戦から冷戦にかけて実は受け皿としての州は連邦に対抗できる力を失い、その後のグローバル化で民主主義の基盤となる中間層が消えました。

長い視野で見るならば、アメリカは冷戦の勝利の代償を今支払っているのかなと思います。新たな抑制均衡を構築する政治思想がそろそろ必要になっている頃ではないかと思います。バイデン政権の4年でそれを構築するのは困難でしょうが、次までに対抗原理が根付かないと3億丁の銃を持つ国民の国は厳しい。

(誤)1760年の破綻事例(南北戦争)は
(正)1860年の破綻事例(南北戦争)は

アダムズの政治思想は「共和国は将来必ずaristocracyとdemocracyの対立に陥る。共和国を保全するためには、aristocracyを制度の内部に封じ込めなければならない」というものでした。彼にとってはどっちもダメな政治体制だが均衡ならできると。しかしaristocracyの抑制に失敗したということです。

当然、こうなるとdemocracyも危機を迎えることになります。彼の時代には存在していなかった分析概念ですが、アメリカのdemocracyとは、彼の時代にあってはそもそもポピュリズムの別名だったのだろうと考えられます。

アメリカ合衆国建国史研究を一生やっていくのではないかと思います。リツイートさせて頂く場合、基本的に賛意、こういう意見もあるなどポジティヴな動機によります。晒し上げはしません。2017年まで北海道にいました。稚内18年、長万部9年。それ以外は札幌(予備校と北大)です。飲酒時に書いたツイートは翌日恥じて消すことがあります。

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  2. オッカム
  3. 2021/01/07 09:35:08 公開
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