「これは非常に重要な視点で、人が...」、@YuzoKano さんからのスレッド
これは非常に重要な視点で、人が何を持って信用するか。
もっと言うと、人は「他人がが何を持って信用すると思う」と思うかです。
この理論は実は他人を参照し続けており、世界中に自分自身は誰もそのものを信用していないが、「他人がそう思うならそうでしょ」の連鎖で成り立ってます。
それが爆裂する瞬間をインフレクションポイントと僕は呼んでいますが、一旦、インフレクションポイントを超えると元に戻らない。
エコシステムが確立されるからです。信用の連鎖の連鎖率みたいなので定義されるかと思いますが、連鎖率が一定程度を超えると、爆裂的に信用が確立されます。
それをビットコインはもう超えたんじゃないかと考えています。
一方で、ほとんどのアルトコインはまだインフレクションポイントを超えられてない。FCAがハイリスクを指摘するのも理解できます。
さて、金は5000年の歴史があるから信用できるんだ、と歴史とともに語られるとそうかと思ってしまいますが、何故でしょうか?
人々はストーリーが好きなんだと思います。金を主題にしたり、当然のように価値を認める映画や本はいくらでもあります。
それによって信用が増しているのではないでしょうか
価値そのものを議論することができない。だから、それを補完するようなストーリーが生まれます。
それは鶏と卵のようですが、どこかの瞬間で金に多くの人が見とめる価値が創造されたのは紛れもない事実です。
時間と共に信用が増すのは、その通りで、100年でも短いのではないかと思います。
デジタル資産が1000年かけて信用を獲得するプロセスはあまりに長く、またその出生が地球が産んだ物理的性質ではなく、技術に依拠している限り、仮想通貨が1000年単位の信用の安定性をその歴史のみで獲得できる可能性は低いのではないでしょうか?
ブロックチェーンに変わる新しい技術の登場により信用が覆されてしまうのではないかとも思います。
まずは当面の間に起こることとしては、規制を超える技術との対峙が必要で、その間に獲得できる信用がインフレクションポイントを超えられるかが注目されます。
そして結果は取引価格と言うとても透明性のある指標で表現されます。
お金になぜ価値があるのか?仮想通貨になぜ価値が生じたのかを、もっと議論すべきです。
決済手段の有用性についても、VISAやマスターとの契約を切られた事業者の存在によって直近でやや見直されたと思います。
議論も理論もなく単なる投資対象になるのは、仮想通貨にとっても幸せなことではないと思います。
オープンに議論することはいくらでもある。まずは、未来のために何を話すべきなのかを見定める時が来たのだと思います。