「1号は小5からiPadを持ち込んで授...」、@bottiboch さんからのスレッド
1号は小5からiPadを持ち込んで授業に参加していた。
しかし、小6のときにiPadでは越えられない壁に直面して…打ちのめされた。楽しい学びの場であった学校に怖くて近づけなくなった。1号は学校に行けなくなり、大好きな学習に参加できなくなった…
1号がぶつかった壁…iPadでは乗り越えられない壁…それは、
先生の無理解
だった。
小6のときの担任は小5のときの担任から変わった。
小6のときの担任は1号が読めない教材、1号が書けない課題を与えて1号が授業に参加できないようにした。
1号は明朝体が読めない。明朝体が読めないというより、メイリオやゴシックなら読めるから、配布するプリントはメイリオかゴシックにして欲しいとお願いしていた。しかし、ある日の道徳の授業で配布されたプリントは勘亭流を使ってあった。なぜ勘亭流…私は唖然とした。
1号は一切読めなかった。
教材プリントを読むことができなければ授業にも議論にも参加することができない。
完全に排除された…
1号は次の日に使うプリントを前日に渡して欲しいとお願いした。前日にもらえれば私にテキストにしてiPadに入れて欲しいとお願いできるから…そしたら自分の好きな書体でよんだり、読み上げ機能を
使えるから…
だけど担任からは「それはできない」と言われた。理由は「授業当日に印刷することもあるし、1号くんだけ特別扱いはできない」ということだった。
1号は「では、先生が読んでください」とお願いした。でも、それも「授業があるからそれはできない」と断られた。打つ手なしの1号は苦肉の策として私に学校に来て読んで欲しいとお願いしてきた。そのことを担任に伝えると…
「お母さんが教室に入ると他の児童が萎縮するので…」
と断られた。
じゃあ、どうしろと?プリント読めない1号が悪いの?
となったときには、毎日、毎日、読めない、書けないを思い知らされ、1号の心ははすでにボロボロで…今日はどんな方法で排除されるのかと怖くて学校に行けなくなり、大人を信用しなくなりました。
大好きな友だちと学びの場を奪われた1号は毎朝「なんで目が覚めるの?なんで生きてるの?このまま死ねばよかったのに…」とベッドで泣いてました。
学ぶことを奪われるって、希望を奪われるのと同じだな…ってその時知りました。
学校に行かなくても学べる!そうかも知れません。しかし…
1号は「学校で学ぶ方が効率がいい」と言ってました。
「読み書きできなくても学ぶ方法も手にいれたのに…なぜ?」と悔しがる1号にこんな落とし穴があったとは…と呆然とするしかありませんでした。