「なぜ弱い立場にある人に優しい社...」、@chihirotsukada さんからのスレッド
なぜ弱い立場にある人に優しい社会であるべきか。究極的には「自分のため」だと私は思います。自分が「弱い立場」になったときも、公的サポートを得て尊厳のある生活ができるように。その「交代可能性」に気づくことができないさまは、見ていてとても悲しい。とても。
癌に侵され仕事ができない。地震で住む家を失った。教育を満足に受けられず非正規雇用しかない。私たちは誰しも、文字通り誰しもが、常にこれら無数のリスクと隣り合わせなはずです。あなたや私は、運良くリスクが今のところ現実になっていないかもしれないけれども。
「自分はリスクを取るから、税金を弱い立場の人に使わないでくれ」という人がいる。いくつもそんなコメントをもらった。でもそれは間違っている。それはリスクを取ったとは言わない。だって、結局今の時点であなたの人生ではそれらのリスクが現実になっていないのだから。
想像して欲しい。もしもあなたが生まれながらに難病を抱えていたとしたら。もしもあなたの親が教育に一切投資しない人だったとしたら。もしもあなたが不慮の事故で寝たきりになっていたとしたら…もしも人生でそういったことが起こっていたとしたら、今のあなたはありますか?
弱い立場にある人に優しくする(優しい政治を選択する)ことは、利他的な視点からだけでなく、利己的な視点からも導かれます。それは、自分のリスクを最小化するための、自分の利益を最大化するための、自分自身のための、究極の「保険」でもあるのです。
備えをしておけば、自分が弱い立場に追い込まれる交代可能性を回避できる(強い立場でいられる)というコメントも頂きました。
完全な「備え」などあり得ませんし(例えばALSのリスク)、不運にもその「備え」が全く叶わない人もいるのですよ。そこに思いを致してください。
そう言ったコメントに、「想像力が欠如している!」と批判するの(だけ)でなく、「一緒に想像してみましょうよ!」と声をかける、私はそう言った姿勢を大切にしていきたい。私もあなたも、意見は違うし完璧ではないけど、共に少しでも社会を良くしていきたいから。
「自分のため」云々言わなくたって、弱い立場にある人に優しい社会が当然でしょ、というコメントもいくつか頂きます。
仰る通りかもしれませんが、私は「なぜ」を言語化したい。クリアな「なぜ」への回答を伴ってこそ、多くの人の心に届けられると思うからです。
その「当然でしょ」は、ともすると価値観(正義)の押し付けなのです。押し付けられて共感や納得できる人などいないと思います。だからこそ、自分からすれば「当然」に見えることも、誠意と情熱を持って、自分のコトバで伝えることを、私は心掛けているのです。
そうした、一見すると回り道に見え、直ぐに目に見えた効果など出ないことを、コツコツと、一つ一つ、誠実に積み重ねていくことこそが、最終的に、沢山の人の共感や支持を得て、社会を少しでも良くしていくための、唯一で最短の方法だと、私は信じています。
こういったツイートをすると、毎回のように、「この偽善者が」とか「いい人ぶってるだけ」とか、いろいろなご批判を頂きます。どんな人が言えばそういった非難を受けずに済むのでしょうか。
私はそれでも発信し続けます。共感をして下さる方々がいる限り。
「弱い立場にあるのは自己責任」というコメントが霞むような、「好き好んで保護を受けてる」、「不当に利益を得てる」、「不正を働いてる」といったコメントも寄せられます。
ぜひ田中さん(@tanakaryusaku)の記事を読んで欲しい。なお、不正を働く人はどの環境にもいます。
「お前の言ってること甘すぎ」といったコメントも複数頂きました。その評価も理解します。
私たちは常に、自分の経験や状況に基づき物事を考えます。いくら頑張って、誰かの状況を想像したところで、結局、その誰かと「完全に同じ」立場でものを考えることはできません。
ですから、自分の立場から見れば「怠けている」という評価が適切であっても、「完全に同じ」立場に立ってみることが許されるならば、同じ評価はできないかもしれません。非常に難しく、私も全く十分にできませんが、想像には限界があることも、意識せねばならないと思います。
「交代可能性だけでは不十分」、「道徳的な視点も必要」等とのコメントも頂きます。仰る通り、正解のない問題に1つの説明で万事解決とは参りません。
それでも、多くの人が一瞬でもこのテーマについて考えて下さったなら、それだけで望外の喜びです。ありがとうございました。