「集団内ヒエラルキーの低い者に対...」、@selfcomestomine さんからのスレッド
集団内ヒエラルキーの低い者に対する暴力は、群れ生活する動物ならどこにでも見られる。これをタイプ1のいじめと呼ぼう。《意図の共有》能力を進化させたヒトはさらにタイプ2のいじめ、集団と協調・適合しない者へのいじめを行う。“利他的な処罰“心理が駆動するため、いじめ被害者は「悪人」にされる。
利他的な処罰/altruistic punishment とはこういうやつね。サードパーティパニッシュメントともいう。ヒトは社会淘汰圧を受けて進化した動物で、「フツウ」から逸脱した者や集団に奉仕しない怠け者が罰せられるのを熱烈に望む。罰を下す時、ヒト個体の脳ではドーパミン中枢が活性化するよう進化してる

あいつはフツウじゃないから、おかしな奴だから虐められても仕方がない、ということを加害者達はよく言うよね。なぜ集団の “フツウ“ =normal から外れただけで「悪」になるのか?ヒトの善悪という感性がそもそも「規範=norm に適合しているかしていないか」から生じたからだとランガムは示唆している
“ 死刑執行人が幅を利かせる社会において、死は異端者の頭上に吊るされたダモクレスの剣だった。そうした環境では、はみ出し者と見なされる危険を最少化する個人が、進化上有利になった。つまり、どんな行動が「善」で、どんな行動が「悪」か、誰もが心得ておく必要があったのだ。”
” そこを取りちがえると命取りになりかねない。そういう危険な世の中をうまく生き延びたわれわれの祖先は、善悪をきちんと理解できる人々だった。”
- 善と悪のパラドックス ーヒトの進化と〈自己家畜化〉の歴史
善と悪、つまりRight & Wrongには、どんな社会でも「ただしい」「まちがっている」という意味が含まれている。数学の授業で先生に当てられた時に“まちがった“答えを言ってしまう事と、道徳の授業で“まちがった“ことを言ってしまう事はまるで意味合いが異なるはずだが、同じ形容詞が当てられている。
それは「規範」というものの起源が「○○のやり方(How to)」であることが関係している。サピエンスは、数学の問題を解く際も、道徳的作法を遵守する際も、規範(○○のやり方)を脳にコピーする。それは他の個体が開発し部族の中で受け継がれてきたスキルで、とにかく真似をすることが適応的なのだ。
これに関して詳しいことはここで書いたので参照してほしい。
なぜあなたは「出世したい」のか? ヒトが権力と名声を求める根本的理由
なぜあなたは「出世したい」のか? ヒトが権力と名声を求める根本的理由(Ore Chang) @gendai_biz
「現代ビジネス」は、第一線で活躍するビジネスパーソン、マネジメント層に向けて、プロフェッショナルの分析に基づいた記事を届ける新創刊メディアです。政治、経済からライフスタイルまで、ネットの特性を最大限にいかした新しい時代のジャーナリズムの可能性を追及します。
gendai.ismedia.jpサピエンスには規範心理 (ノーマティビティ) が進化しているというとなんかカッコいいが、ようはハブられないよう空気を読むことだ。みんながスーツで来ているのに、一人だけ私服で来るな。それは規範の逸脱だ。狩猟採集社会の規範は口伝されるがはっきりと明文化されてない。暗黙のルール、不文律だ。
部族の規範を逸脱した人間はどうなるか?大抵はモラル・マジョリティが社会的圧力や追放・処罰の兆しを見せるだけでその人は反省し、逸脱した振る舞いをなおす。だがそこで横暴に反発した人間には最終手段としてエクストリームサンクション:処刑が下されてきた。
以前にも説明したように、この人類進化の処刑仮説 (the execution hypothesis) は生物界でヒトだけが進化させた「逆支配階層」の話と関連がある。もともとは資源と性を独占する暴力的アルファオスを殺すために、相対的に弱いオスたち(男性マジョリティ)が協力して進化させたのが「処刑本能」なのだ。
暴君は、非アルファオス達からすれば「逸脱」していた。規範からの逸脱と善悪心が進化的に結びついた最初の原因はここにある。古今東西の『物語』の多くが「善人たちが協力して孤独な悪の帝王を倒す」というお決まりのプロットで構成されているのは偶然ではないだろう。これは逆支配の為の装置なのだ。
──ああ、それはわかった。
だが、いじめと利他的な処罰の関連性を考える上で最大の疑問点は、一体なぜ、暴君の排除のため進化したはずの "処刑心理" が、ヘンな人間やおかしな人間、周囲に馴染めない人間など「社会的弱者」をいじめる行為に繋がるようになってしまったのか?ということだろう。
ランガムが推測するように、「処刑権力が腐敗したからだ」というのが正しそうに思える。男性コアリションが、暴君タイプのアルファオスを "排除" したがったそもそもの理由からして、資源や女を独占されるのがムカつく、というきわめてセルフィッシュなものなのだ。
きわめて強いホッブズ的闘争心を抱えた、政治的謀略まみれの類人猿として有名なチンパンジーですら、複数の個体が徒党を組んで暴君を殺害する行動を既に示している。
サピエンスの「暴君処刑」の進化的始まりも、高尚な向社会的動機というより、利己的な動機を持った者同士の協力から始まったと考える方が、より自然であろう。
処刑権力は部族社会におけるリヴァイアサンとして機能した。処刑仮説が受け入れられれば「国家権力による公的な暴力装置」の起源は文明以前の先史社会に遡ることになる。
歴史上文明国家のリヴァイアサンの腐敗は、ヨーロッパの絶対王政など「横暴な主君」によってもたらされることが多いが、先史部族社会ではその腐敗が、"出る杭を打つ" ようなエガリタリアン(平等)社会特有のいやらしさによってもたらされたのだろう。
社会生物学者のE.O.ウィルソンは、ヒトのもつ「利他的な処罰」心理についてこう説明している;
” 人は平等や協力のみに本能的なうれしさを感じるわけではない。協力しない者(たかり屋、犯罪者)や、さらには地位に見合うだけの貢献をしない者(遊び呆ける金持ち)が罰を食らうのを見ても喜ぶ。よこしまな者を貶めたいという欲求は、タブロイド紙の暴露記事や犯罪の実話で十分に満たされる。”
“ 人は、悪事を働く者や怠け者が罰せられるのを熱烈に望むばかりか、自分に犠牲(コスト)を強いてでも、人を裁くことに参加したがるものだ。”
“ 信号無視をするドライバーを叱りつけたり、雇い主の悪事を密告したり、凶悪犯罪を目撃して警察に通報したりするなど、多くの人は、その悪人と面識がなくても、善良な市民として犠牲を払って───少なくとも時間を無駄にして───まで、そのような役立つことをするのである。“
“ 脳内では、そうした「利他的な処罰」によって、両側前島皮質という、痛みや怒りや嫌悪でも活性化される中枢が活発に反応する。それは社会に対し、秩序を高め、共有する資源の利己的な消費を減らす効用をもたらす。“
- 『人類はどこから来て、どこへ行くのか』
(E.O.ウィルソンはこの後、群淘汰の論理をつかって社会淘汰圧を説明しているが、議論を醸すその論理を持ち出さなくとも、ランガムが説明するように逆支配と処刑による平準化作用は “利己的な遺伝子“ のロジックの範囲内で十分に説明できる。)
────さて、ここまでではまだ、処刑権力はなんの腐敗もしていないように見える。平等的相互扶助の道徳的部族集団からもたらされるメリットに "ただ乗り" するフリーライダーに対して、当然の罰を下しているだけに思える。
しかしそれでは、誰の身体を傷つけたわけでも誰の権利を侵害したわけでも無い、ただ少しばかり集団に溶け込めずにズレた人間が、クラスメイトから虐められることの生物学的論理を介した説明がつかない。
じつは、タイプ2のいじめ───集団と協調・適合しない者へのいじめ──はたいがい、集団の中で自然発生したのではない。このタイプのいじめが生じるその裏側には、けっして被害者側には帰責されない原因、紛れもない「加害者」の存在が潜んでいるのである。
そして、こうした者たちの存在を、教師なり何なりの管理者が見抜き、その振る舞いを戒めることこそが、《いじめ》の根本的解決へと繋がるのではないか───という話を、大変お待たせしました。つづきはnoteで出します。