「【アルコール依存症の名誉ある死...」、@DrYumekuiBaku さんからのスレッド
【アルコール依存症の名誉ある死】
私の専門のひとつに(もうやらないと思うけど)依存症がある
やりたくて始めたと言う訳でもなく、たまたま依存症やってる班の人数減ってたからお前専門決めてないなら依存症班に行けと言われて何にも考えずに行った
行って改めて飲む打つ買うって言葉の重さに気付く→
→「飲む打つ買う」は「酒賭博性欲」のことで、依存症はそこに病的にハマった人達の坩堝だった
病院に来るのは大概薬物(アルコールは薬物です)の人で、皆色んな意味で疲れた顔で目だけギラギラしていて、禁じられた薬物に対しての渇望とか二度と手を出さないと言う声が病棟の片隅に滞留していた→
→基本皆薬物に手を出した時(酒も)、自分が依存症になるとは思っていない
それが一番怖い
極論覚せい剤だって最初は皆「自分だけはハマらず上手く付き合える」も手を出して、泥沼のような世界に堕ちて行く
身体より先に社会的信用を失い、社会的死を迎える人も多かった
でも辞められないのだ→
→私は基本的に入院でも外来でも飲んで来ても何も言わないで診察していた
「お前も俺の事断酒できないって今バカにしてんだろ!」と怒鳴られたりもしたけど、「それで病院来てんだから偉いって思ってるわボケ!」等大変口調が悪く対応していた
でも、患者さんをバカにしたことは無い→
→依存症は知れば知るほど自分が依存症にならない自信が消える分野だった
誰でもなる
心が強くても、仕事があっても、友達がいても、家族がいても、何か心の隙間がある所に依存症はスルッと入り込んで根を張り、気付けば抜け出せない茨の中に閉じ込められる
患者さんをバカに出来る訳がないのだ→
→ただ私は外来患者さん達に言えたのは「生きて次の外来に来ること」だけだった
待合室で患者さん同士も話をする
大概医者の悪口だけど、私の患者さん達は患者さん同士で上手いこと支え合ってくれていた
うっすら聞こえてくるそんな話も私は嬉しかった
居場所があれば地獄が少し明るくなるものだ→
→飛び込みの入院も取っていた。ある時かなりご高齢の方がベロベロに酔ったまま搬送されて来た
大体こういうパターンは「うるせえ!飲ませろ!お前に関係無いだろ!」と怒鳴るのでそのつもりで診察を開始した
でもその人は違った
泣きながら「先生助けて下さい」とウイスキー瓶片手に頭を下げた→
→何事かと聞くと、もう何十年も断酒していた患者さんだった
その地域では断酒会やAA(酒の依存症自助会)で今辞められない人達をボランティアで長年支えてきた当事者だと言う
そんな彼がどうして?となった
「がんが見つかって怖くて…ダメだと思ったのに飲んでしまって…」付添の家族も泣いていた→
→依存症の人は家族関係も破綻していることが多い
しかしその人はもう何十年も断酒し、壊れた家族関係も修復し、様々な依存症患者さん達の憧れだった
そんな人が告知を受けた帰りのコンビニでフラフラとビールを手に取り、そして連続飲酒と言う地獄に舞い戻ってしまったと言う
何十年の平穏が1口で
→
→病棟に上がってから他の患者さん達もそんな訳で動揺していた
患者さんはただひたすら震えながら「また今日から1日1日です。でも1人じゃ無理なんです…」と何度も何度も言いながらウイスキー瓶から手放すことを躊躇う仕草をして、そんな自分に何度も絶望した顔をしていた
私はただ待つしか無かった→
→患者さんは入院後少し離脱が出たものの何とか落ち着いた
色んな意味で当時は前時代的とも言えるプログラムも黙々と何も文句を言わずこなしていた
酒害教育なんて受けなくたって皆知っている。何せ体験しているんだからバカみたいだと思う
でもその人は黙ってノートを取っていた
→
→入院後色んな形で動揺していた他の患者さん達も徐々に落ち着いていった
3ヶ月のプログラムを完遂しても必ず断酒できる訳では無い
しかしその人は「これは私が私として現世に戻るための儀式だと思います」と淡々と不自由であろう入院生活をこなしていって2ヶ月位が過ぎた
顔色も随分良くなっていた→
→「私は生きたかったんです。でも酒に飲まれていたら人として死ねないから、退院してから人として闘病して死にたいんです」と診察の度に言うていたその人
ある日病院内に急変コールが鳴り響いた
向かおうとした私のPHSが鳴った
「○○さんがトイレで意識不明です!」
とにかく走るしか無かった→
→到着した時先についた先生が対応中だった
トイレでいきなり倒れたと見ていた患者さんが話している声
私は患者さんの家族さんに電話をして説明しなければならない立場だった
モニターは心制止だった
→
→家族さんも混乱していた。この間元気そうだったのに何でですか!?と何度も言われた。私が言えることは他の病院に頼み込んで診てもらう交渉をすることしか無かった
運良く近くの大きな救急センターが今取れると言ってくれたので、私が心臓マッサージしながら救急センターに搬送となった→
→正直もうダメだと言う手応えだった。でも私が心臓マッサージを止めたらその人は「死んで」しまう
人はいつ死ぬのか?と言うと医者が死亡確認したら死ぬのが日本の法律なのだ
だから私が心臓マッサージし続ける限りこの人は生きている
救急センターに引き継ぎし、処置室で同席させてもらった→
→「先生、もう告知すべきです」当たり前のことを救急科に言われた
どう話を付けたかその辺は曖昧だけど、患者さんは「生きて」CTとエコーを受けて大動脈解離スタンフォードA型と診断を受け、そして亡くなった
家族さんにその説明を救急センターの先生がしている後ろで私はただ聞いていた→
→患者さんの家族が手続きしている最中に私に話しかけに来てくれた
「あの人の死因がお酒じゃなかったことを証明して下さってありがとうございます」「父の名誉を守って下さってありがとうございます」と頭を下げられ、私は帰りのタクシー(救急車で来たら帰りはタクシー)で疲れて少し寝てしまった→
→私は今もう依存症の治療はしていない
他にも色んな人を診て、看取って、人間の心の欲の汚さとか怖さとか、それでも人間は素晴らしいのだなと言う事実を短い時間で大量に知った
あの人があの最期を迎えられたことは幸いだったのかその人がどう思っているか死ぬまでわからない
どうなんだろうね 終
この話はきっとフィクションです
そして途中に誤字脱字があるのはいつものことです
酒は飲んでも飲まれるな
皆、幸せな人生を送ってください
下記追記します
「今日1日の積み重ね」はよく断酒会やAAで言いますが、それは依存症患者さんに限らず、人間は全員そう生きているのでは無いでしょうか
誰にとっても生きることは辛いのだから