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「メロスは激怒した。必ず、かの邪...」、@cycleshopleft さんからのスレッド

メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐のヒルクライマーを除かなければならぬと決意した。メロスにはヒルクライムがわからぬ。メロスは、村のスプリンターである。平坦を走り、ZWIFTで遊んで暮して来た。けれども斜度の変化に対しては、人一倍に敏感であった。

きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此のCクラスのレースにやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気なヒルクライマーを、近々、花婿として迎える事になっていた。結婚も間近かなのである。

メロスは、それゆえ、花嫁のサイクルジャージやら祝宴の補給食やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それからレース会場をぶらぶら歩いた。

メロスには竹フレーム乗りの友があった。セリヌンティウスである。今は此のCクラスのレースで、メカニックをしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。歩いているうちにメロスは、レース会場の様子を怪しく思った。

ひっそりしている。もう既に日も落ちて、レース会場の暗いのは当りまえだが、けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、レース会場全体が、やけに寂しい。のんきなメロスも、だんだん不安になって来た。

コースで逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、二年まえに此のレースに来たときは、夜でも皆が3本ローラーを回し、レース会場は賑やかであった筈はずだが、と質問した。若い衆は、首を振って答えなかった。しばらく歩いて老爺に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。

老爺は答えなかった。メロスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。老爺は、FTPテストをした直後の様な声で、わずか答えた。

「王様は、人を殺します。」
「なぜ殺すのだ。」
「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ。」
「たくさんの人をヒルクライムで殺したのか。」

「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を。」

「おどろいた。国王は乱心か。」

「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少し派手なパーツをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば固定ローラーにかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました。」

聞いて、メロスは激怒した。

「呆れた王だ。生かして置けぬ。」

メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、巡邏のローディーに捕縛された。調べられて、メロスの懐中からはペダルレンチが出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。

「このペダルレンチで何をするつもりであったか。言え!」
暴君ディオニスは静かに、けれども威厳を以もって問いつめた。その王の顔はツールドおきなわ210km完走後の様な蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれた左ペダルの溝のように深かった。

「レースを暴君の手から救うのだ。」
とメロスは悪びれずに答えた。

「おまえがか?」
王は、憫笑した。
「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしのヒルクライムでの孤独がわからぬ。」
「言うな!」
とメロスは、いきり立って反駁した。
「人のパワーウェイトレシオを疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民のFTPをさえ疑って居られる。」

「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、隠しモーターを使ったおまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」

暴君は落着いて呟き、ほっと溜息をついた。

「わしだって、平和なローテを望んでいるのだが。」
「なんの為のローテだ。自分の順位を守る為か。」
こんどはメロスが嘲笑した。
「罪の無いスプリンターを殺して、何が平和だ。」
「だまれ、下賤の者。」
王は、さっと顔を挙げて報いた。

「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、固定ローラーに磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」

「ああ、王は悧巧だ。自分のパワーウェイトレシオに自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ、――」と言いかけて、メロスは足もとのS-PHYRE RC9に視線を落し瞬時ためらい、

「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに三日間のブルベの日限を与えて下さい。たった一人の妹に、ヒルクライマーの亭主を持たせてやりたいのです。三日のブルベのうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず、ここへ帰って来ます。」

「ばかな。」

と暴君は、激坂で死にかけているスプリンターを前から覗き込むクライマーのような嗄れた声で低く笑った。

「とんでもない嘘を言うわい。ゴール前で逃がしたスプリンターが帰って来るというのか。」

「そうです。帰って来るのです。」

メロスは必死で言い張った。

「私は足切りを守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、このレース会場にセリヌンティウスというメカニックがいます。私の無二の友人だ。

あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人の竹フレームを叩き割り、絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」

それを聞いて王は、スプリンター相手に急勾配でアタックする時の様な残虐な気持で、そっと北叟笑んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙だまされた振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの竹男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。

人は、これだから信じられぬと、わしは、昔リミッター解除電動自転車にヒルクライムで負けた時の悲しい顔して、その身代りの竹男を固定ローラー磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。

「願いを、聞いた。その身代りの竹男を呼ぶがよい。三日目には日没までに帰って来い。おくれたら、その身代りを、きっと殺すぞ。ちょっとおくれて来るがいい。おまえの罪は、永遠にゆるしてやろうぞ。」

「なに、何をおっしゃる。」
「はは。いのちが大事だったら、おくれて来い。おまえの心はGARMINで、わかっているぞ。」

メロスは口惜しく、ペダルを踏んだ。物言いも言いたくなくなった。
竹フレーム乗りの友、セリヌンティウスは、深夜、王城に竹フレームに乗り召された。暴君ディオニスの面前で、佳き友と佳き友は、二年ぶりで相逢うた。
メロスは、友に一切の事情を語った。

セリヌンティウスは無言で首肯き、メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。
セリヌンティウスは、縄打たれた。
メロスは、補給食、ツール缶、ボトル、VOLT1700の予備バッテリーを用意し、すぐに出発した。

初夏、満天の星、ブルベ日和である。

メロスはその夜、一睡もせず五十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは、翌る日の午前、陽は既に高く昇って、村人たちは野に出て練習をはじめていた。
メロスの十六の妹も、きょうは兄の代りにボトル渡しの番をしていた。
よろめいて走って来る兄の、ハンガーノックと疲労困憊の姿を見つけて驚いた。

そうして、うるさく兄にプロテインを浴びせた。

「なんでも無い。」

メロスは無理に笑おうと努めた。

「レースに用事を残して来た。またすぐレースに行かなければならぬ。あす、おまえの結婚式を挙げる。ゴールスプリントは早いほうがよかろう。」

妹は頬をあからめた。

「うれしいか。綺麗なジャージも買って来た。さあ、これから行って、ローテ練中の村の人たちに知らせて来い。結婚式は、あすだと。」

メロスは、また、よろよろと走り出し、家へ帰って神々の機材を飾り、祝宴のZWIFT環境を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。

眼が覚めたのは夜だった。メロスは起きてすぐ、花婿のヒルクライマーの家を訪れた。

そうして、今度ニセコがあるから、結婚式を明日にしてくれ、と頼んだ。

婿のヒルクライマーは驚き、それはいけない、こちらには未だ何の仕度も出来ていない、葡萄味の補給食が作れる季節まで待ってくれ、と答えた。

メロスは、待つことは出来ぬ、どうか明日にしてくれ給え、ニセコまでの練習量が足りぬ、と更に押してたのんだ。婿のヒルクライマーも頑強であった。
なかなか承諾してくれない。
夜明けまで議論をつづけて、やっと、どうにか婿をなだめ、すかして、説き伏せた。

結婚式は、真昼に行われた。

新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流し、落車を誘発するような大雨となった。

祝宴に列席していた村人のローディーたちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのもイザナギヘルメットでこらえ、陽気にZWIFTで遊び、足を回した。

メロスも、満面に喜色をたたえ、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。

祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。

メロスは、一生このままここでZWIFTしていたい、と思った。

このよい人たちと生涯練習して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。

アバターなのである。

メロスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。

あすの日没の足切りまでには、まだ十分の時が在る。

ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。

その頃には、雨も誤差程度の小降りになっていよう。

少しでも永くこのZWIFT環境に愚図愚図とどまっていたかった。メロスほどの男にも、やはり未練の情というものは在る。今宵呆然、歓喜に酔っているらしい花嫁に近寄り、

「人生のマイヨジョーヌおめでとう。私はZWIFTで疲れてしまったから、ちょっとご免こうむって眠りたい。

眼が覚めたら、すぐにレースに出かける。私がいなくても、もうおまえには山で5.5倍で踏める優しい亭主があるのだから、決してヒルクライム練習で寂しい事は無い。おまえの兄の、一ばんきらいなものは、人を疑う事と、それから、ゆるポタだよ、と嘘をつく事だ。おまえも、それは、知っているね。

亭主との間に、STRAVAのログ非公開など、どんな秘密でも作ってはならぬ。おまえに言いたいのは、それだけだ。おまえの兄は、たぶん偉いスプリンターなのだから、おまえもその誇りを持っていろ。」

花嫁は、夢見心地でうなずいた。メロスは、それから花婿のヒルクライマーの肩をたたいて、
「本番前の仕度の無いのはお互さまさ。私の家にも、宝といっては、妹とWahooのZWIFT環境だけだ。他には、何も無い。全部あげよう。もう一つ、村一番のスプリンターの弟になったことを誇ってくれ。」

花婿は揉もみ手して、てれていた。メロスは笑って村のローディーたちにも会釈して、宴席のZWIFT会場から立ち去り、SEV風呂にもぐり込んで、死んだように深く眠った。

眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。

メロスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。という、よくいる時間を守れないローディーの1人であった。

きょうは是非とも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう。そうして笑って磔のローラー台に上ってやる。

メロスは、悠々と身仕度をはじめた。
雨も、いくぶん小降りになってレインウェアは必要ない様子である。

身仕度は出来た。

さて、メロスは、ぶるんとゴール前スプリントのように両腕を大きく振って、雨中、矢の如く走り出た。

私は、今宵、殺される。

殺される為に走るのだ。身代りの友とその竹フレームを救う為に走るのだ。王の奸佞邪智を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ。

そうして、私は殺される。
若い時からマイヨヴェールを守れ。

さらば、ふるさと。

若いメロスは、妹にZWIFTを取り上げられた時ぐらいつらかった。幾度か山で、足付きしそうになった。

Allez allez!と大声挙げて自身を叱りながら走った。

村を出て、パヴェを横切り、グラベルをくぐり抜け、隣村のチェックポイントに着いた頃には、雨も止やみ、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。メロスはIZANAGIから垂れた汗をこぶしで払い、ここまで来れば大丈夫、もはや実家のZWIFT環境への未練は無い。

妹たちは、きっとよい自転車夫婦になるだろう。パイオニアのパワーメーターがある私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐに王城にゴールすれば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり走ろう、と持ちまえの呑気さを取り返し、ヒーメヒメ!と小歌をいい声で歌い出した。

ぶらぶら走って二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降って湧いた災難、メロスのBORA ULTRA 50 AC3 TUのカルトベアリングは、はたと、とまった。

見よ、前方のパヴェの路肩を。
きのうの豪雨で山の水源地は氾濫し、濁流滔々と下流に集り、猛勢一挙に走り易いパヴェの路肩を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵にパヴェごと路肩を跳ね飛ばしていた。

トライアスリートではない彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、サポートカーは残らず浪にさらわれて影なく、他のローディーの姿も見えない。流れはいよいよ、ふくれ上り、城のお堀を泳ぐトライアスロンのようになっている。

メロスはパヴェにうずくまり、男泣きに泣きながらランス・アームストロングに手を挙げて哀願した。

「ああ、鎮しずめたまえ、荒れ狂う流れを!TIMEは刻々に過ぎて行きます。太陽も既に調光レンズも黒ずむ真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城にゴールすることが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために死に、竹フレームがへし折られるのです。」

濁流は、ZWIFTロスのメロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、煽り立て、そうしてTIMEは、刻一刻と消えて行く。今はメロスも覚悟した。

ベアリング部に水が入らないように担ぎながら泳ぎ切るより他に無い。

ああ、神々も照覧あれ!

濁流にも負けぬシールドベアリングの偉大な防水防塵力を、いまこそ発揮して見せる。

メロスは、さっき言ったことをすでに忘れたのか、水洗車するかの如くエアロロードもろともざんぶと流れに飛び込み、先頭交代した直後にアタックされてのた打ち荒れ狂うローディーのような浪を相手に、必死の闘争を開始した。

満身のトルクを足にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしき、風洞実験に比べれば、と掻きわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅のマイヨヴェールの子の姿には、UCIも哀れと思ったか、ついに憐愍を垂れてくれた。

押し流されつつも横風分断作戦の経験を生かし、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。陽は既にサンセットラインに傾きかけている。

昔妹に山で千切られた時のL5強度の時のような、ぜいぜい荒い呼吸をしながらインターバルがかからないように峠をのぼり、のぼり切って、ほっとセグメントの確認をした時、突然、目の前に一隊の実業団ヒルクライマー達が躍り出た。
「待て。」

「何をするのだ。私は調光レンズが透明にならぬうちに王城へゴールせねばならぬ。放せ。」
「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。そのオーメストグランデのパーツもだ。」
「私にはいのちとパワーメーターの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」

「その、パイオニアのパワーメーターが欲しいのだ。」
「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」
実業団ヒルクライマーたちは、ものも言わず一斉に4iiiiのパワーメーター付きクランクを振り挙げた。

メロスはひょいと、身体をエアロポジションに折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その4iiiiのパワーメーター付きクランクを奪い取って、「気の毒だがこれも正規取扱店のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者の怯む隙に、さっさとエチェバリア乗りで走って峠を下った。

得意のスーパータック(モホリッチ乗り)で一気に峠を駈け降りたが、流石に疲労し、折からボトルの水をお湯にかえてしまう午後の灼熱の太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩暈を感じ、これではならぬ、と梅丹の金を飲んで気を取り直しては、よろよろ二、三ケイデンスこいで、

ついに、がくりと膝を折った。
ペダルを回す事が出来ぬのだ。

僅差でKOMをとった選手のように天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、実業団ヒルクライマーを三人も物理的に撃ち倒し韋駄天、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者、メロスよ。

今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえのFTPを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代の不信の人間、まさしく王の思う壺だぞ、と付き切れしかけている時のように自分を叱ってみるのだが、全身萎えて、もはや幼児車ほどにも前進かなわぬ。

路傍のエイドステーションにごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、ゴール前のスプリンターに不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かったが寝坊してしまったのは認めよう。

STRAVAのログを照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら私のサイクルジャージを截ち割って、純白のAIRFITをお目に掛けたい。パワーバーバナナ味と梅丹金のカロリーだけで動いているこの心臓を見せてやりたい。

けれども私は、この大事なゴール目前に、精も根も尽きたのだ。
私は、よくよく不幸な男だ。高級な機材を使っている割に足切りになってしまう私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。

私は友に自転車を始めてまだ1ヶ月だと欺いた。

中途で回収車に拾われるのは、はじめからエントリーしていないのと同じ事だ。ああ、もう、DNFでもどうでもいい。
これが、私の定ったリザルトなのかも知れない。

セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私のFTPを信じた。私も君をローテの最中に疲れた振りをして、欺かなかった。私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い心拍センサーに宿したことは無かった。

いまだって、君は私の位置情報をゼンリーで見ながら、なんでさっきから止まってるんだ、と思い無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも自転車歴1ヶ月です、と言った私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。

友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。セリヌンティウス、私はコンビニ休憩もなしで走ったのだ。自転車歴では嘘をついたが君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ!
寝坊した私は急ぎに急いで400Wで踏み続けてここまで来たのだ。濁流を突破した。

実業団ヒルクライマーの囲みからも、物理的にするりと抜けて一気に峠をスーパータックで駈け降りて来たのだ。私だから、出来たのだよ。ああ、この上の出力を、私に望み給うな。このエイドステーションで放って置いてくれ。竹フレーム等どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。

王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代りを殺し、叩き割った竹フレームで流しそうめんをしながら、私を回収車で助けてくれると約束した。
私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままエイドステーションで虚無になっている。

私は、ギリギリ間に合わなかったフリをしておくれて行くだろう。王は、ひとり合点して山岳では10km/hを出すのがやっとの私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。

そうなったら、私は、ZWIFTが出来なくなるよりつらい。私は、永遠に「ゴール前までは一緒に回そう」と言いつつも全然引かない奴らと同じ裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。

セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは、ゼンリーのGPSが誤作動で止まっていたんだ、私は走り続けていた、と言う私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか?ああ、もういっそ、実走は一切しないZWIFTERとして生き伸びてやろうか。

村には私の家にWahooのZWIFT環境が在る。代理店の知り合いも居る。妹自転車夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。パワメだの、TSSだの、ペダリング効率だの、考えてみれば、くだらない。人をチョン刺しして自分が勝つ。それが自転車世界の定法ではなかったか。

ああ、今まで頑張って続けてきたタバタも何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬるかな。――四肢を投げ出してロードバイクに鍵もかけずに、うとうと、まどろんでしまった。

ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もと、S-PHYRE RC9の側で、水が流れているらしい。その水で水洗車する者もいた。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々と、何か小さく囁きながら電解質パウダー入りの水が湧き出ているのである。

電解質パウダー入りの水を両手で掬って、一くち飲んだ。

ほうと長い溜息が出て、その味に、夢から覚めたような気がした。

走れる。行こう。

肉体の疲労恢復と共に、わずかながら希望が生れた。

ギリ完走の希望である。

わが足を殺して、最低限、完走という名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、ジョウブレの調光レンズに投じ、レンズも燃えるばかりに黒く輝いている。日没の足切りまでには、まだ間がある。
私を、ゼンリーで位置情報を監視し、待っている人があるのだ。

少しも疑わず、静かにギリ完走を期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私のvo2maxなぞは、問題ではない。へし折られた竹フレームを補修してお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。

私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あのGARMINのリカバリータイム72時間の通知は、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。メロス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真のローディーだ。

再び立って走れるようになったではないか。ありがたい!私は、村1番の平坦屋として死ぬ事が出来るぞ。ああ、陽が沈み調光レンズがクリアになってゆく。ずんずん沈む。待ってくれ、関門の交通整備員よ。私は生れた時から平坦しか踏めない男であった。平坦番長のままにして死なせて下さい。

コース行く人を肘で押しのけ、跳ねとばし、メロスは黒い風のように走った。

野原でシクロ練の、そのコースのまっただ中を駈け抜け、シクロ練の人達を仰天させ、コーンを蹴けとばし、小川をはやめブラストギアで読んだ、ツール缶をジャンプ台にする方法で飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の中、20倍で走った。

一団のラファおじさん達と颯っとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。

「いまごろは、あの竹臭い男も、固定ローラーに磔にかかっているよ。」

ああ、その男、その竹臭い男のために私は、いまこんなに踏んでいるのだ。

その男を死なせてはならない。急げ、メロス。おくれてはならぬ。モアパワーの力を、いまこそ知らせてやるがよい。竹フレームなんかは、どうでもいい。メロスは、いまは、ほとんど全裸体であったが、サイクルジャージもほぼ似たようなもんだと思った。

呼吸も出来ず、二度、三度、口から電解質パウダーと梅丹の金がまざりあった物が噴き出た。

見える。はるか向うに小さく、Cクラスのレース会場が見える。レース会場は、夕陽を受けてきらきら光っている。

「ああ、メロス様。」

付き切れ寸前のローディーの如くうめくような声が、風と共に聞えた。

「誰だ。」

メロスは走りながら尋ねた。

「フィロストラトスでございます。貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でパイオニアのパワーメーターの開発者でございます。」

その若いメカニックも、メロスの後について走りながら叫んだ。

「もう、駄目でございます。DNFでございます。走るのは、やめて下さい。もう、この出力では、あの方をお助けになることは出来ません。」

「いや、まだ踏める。」

「ちょうど今、あの方が死刑になると同時に、フレームも破壊されるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、FTPが高かったなら!」

「いや、まだ調光レンズは黒い。」

メロスは胸の張り裂ける思いで、GARMINのワット数ばかりを見つめていた。

アウタートップを踏む足は既になく、3枚落としてケイデンスをあと30あげるより他は無い。

「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。いまはご自分のお命と機材が大事です。あの方は、あなたを信じて居りました。

刑場に引き出されても、あなたのゼンリーの位置情報が止まっていても、平気でいました。王様が、さんざんあの方を知識マウントでからかっても、メロスは完走します、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました。」

「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。足切りに間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命もリザルトも問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い!私を引け!フィロストラトス。」

「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、これがハッピーパワーメーターでなければ、間に合わぬものでもない。走るがいい。」

言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。最後の死力を尽して、メロスは走った。

メロスの頭は、からっぽだ。

ヘルメットは斜めに傾き、何一つ考えていない。

ただ、わけのわからぬ圧倒的な引きにひきずられて走った。陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、メロスは疾風の如く刑場に突入した。

間に合った。

「待て。その人を殺してはならぬ。メロスが3日間のブルベから帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。」

と大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、喉がつぶれて嗄れた声が幽かに出たばかり、群衆は、ひとりとして彼のハンドル投げに気がつかない。

すでに固定ローラーの磔の環境が高々と整えられ、テストステロンを打たれたセリヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。

メロスはそれを目撃して最後のスプリント、先刻、自転車を担ぎ濁流を泳いだように群衆を掻きわけ、掻きわけ、

「私だ、刑吏!殺されるのは、私だ。メロスだ。彼とその竹フレームを人質にした私は、ここにいる!」

と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆく友のfi'zi:k R1B INFINITO Knitに、齧りついた。

群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。セリヌンティウスの縄は、ほどかれたのである。
「セリヌンティウス。」
メロスはジョウブレの下の眼に涙を浮べて言った。

「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、GARMINのリカバリータイムが72時間と表示される悪い夢を見た。君がもし私を殴ってくれなかったら、寝坊した私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」

セリヌンティウスは、すべてを察した様子でうなずき、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬をHOZANの輪業レンチで殴った。
殴ってから優しく微笑ほほえみ、

「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。ゼンリーで君の位置情報が止まっていた時だ。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」

メロスはセリヌンティウスの手からHOZANの輪業レンチを奪い、腕に唸りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。

「ありがとう、友よ。」

二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。

群衆の中からもかつて王に山岳で殺されかけたスプリンター・ヒルクライマーたちの、歔欷の声が聞えた。

暴君ディオニスは、群衆の付き位置から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。

「おまえらの望みは叶かなったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをもチームに入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらのスポンサーの一人にしてほしい。」

どっと群衆の間に、歓声が起った。

「万歳、王様万歳。」

ひとりのポディウム・ガールが、黄色のジャージをメロスに捧げた。

メロスは、まごついた。
佳き友は、気をきかせて教えてやった。

「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのジャージを着るがいい。このポディウム・ガールは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」

マイヨ・ジョーヌは、ひどく赤面した。

〜完〜

引用元:
太宰治 走れメロス - 青空文庫
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自転車安全整備店 ■営業時間:10:00~18:00 ■定休日:水曜日 ■兵庫県芦屋市でひっそりと営業している自転車屋 ■Facebook・Instagram ■気軽に入れる敷居の低いお店を目指しています( ´∀`) ■自転車と関係ない事も呟きます。

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  3. 2021/03/07 14:27:07 公開
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