「「他人を殺したり殴ったり虐めた...」、@constructuralis さんからのスレッド
「他人を殺したり殴ったり虐めたりするのは悪いことで差別である」だけで、今あるほとんど無意識みたいな偏見がもたらす社会的不利益みたいなものは差別じゃないって思う人は多い気がする。僕もだけどマジョリティは自分もその社会から恩恵を受けてるわけでそれを認めるのは苦しいよなっては思う。
このレイシストめ!って罵られるのが怖いから目を瞑ってしまうってことは多々あるんじゃないかと思う。
森氏もこの前ボコボコにされたわけで、おじいちゃんたちは「あれが差別なのか!?差別っていうのはわけもなく人を虐めたりすることだろ!?政治や仕事に支障をきたすことを排除するのは当たり前だろ!?」って抵抗してたわけで、まあそういうとこやぞ…なんだけど理解するのが難しいのもわかる。
自分の利益を守る、つまり生存可能性を高めるために今のやり方を守ろうとしたり差別的な偏見を「それはしかたのないことだ」って思い込むことで今のよくないやり方を正当化してしまうのは、その人が邪悪なわけじゃなくて本能に忠実だからなんだよ…僕らは本能を飼い慣らさなくちゃならない。
そして緩やかに変えないと途中で人が死ぬような大きな問題がでる事象もたくさんあって、急激に変えられないからといって苛立つのもまた本能なんだよね…僕らはここからはもう常に本能を飼い慣らさなくちゃなんない。
変化してもしなくても人は死ぬ。最終的にどうなるのが1番みんなが幸せになるのかって考えたときに、ときには自分を一旦不利にしないと進められないなっていう結論になることもあるだろう。でも本能はそれを止めようとする。論理的に計算された全体幸福度より、個の保存を優先させるのが本能だから。
僕らは自分の本能すらも論理で抑えこむ訓練をしなくちゃなんない。そのためにはどこから突っ込まれてもそう簡単には崩れない堅牢な論理が必要で、そのために僕らは話し合う。構造主義はそれがどこまで耐震するかをわかりやすくするための論理手法だ。
結局それをちゃんとやろうと思ったら、僕らは哲学をやらなくちゃならない。
女は話が長いんじゃなくて、今までも社会の一員であったはずのマイノリティを、無視することで構造の中に組み込んでこなかったものを設計図に組み込む作業をしなくちゃなんない。それに時間がかかるのは当たり前だ。元々構造物の柱のひとつだったものをなかったことにして工事を進めてたんだから。
僕らは新しい図面をひいてる最中なんだよ。そう考えるとちょっとわくわくするね?