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「俺が子育てについて考えるように...」、@satetu4401 さんからのスレッド

俺が子育てについて考えるようになったのはゲームのテストプレイの様子を見ていた時だ

実は親から十分な自由を与えられ、現実世界で何らかの目的を持って居る子供はゲームに熱中しない。ゲームに熱中するのは家庭に何らかの問題があり、親から目的を取り上げられている子供だけだ

もちろん、自由があってもそもそもの指向がゲームに向いている子供は熱中する

だが家庭に問題があって熱中する子供と、自由があるなかでゲームを選ぶ子供には違いがある

実際は沢山の小さな違いがあるが、大きな違いを挙げるなら「ゲームを終わらせたがらない」という点だ。あるいは終わりが遠いゲームを好む

「エンディング前でゲームを止める症候群」と似たような反応を示す傾向がある

あるいは自主的にゲームをやっている子供は自分だけでなく他人と共有しようとする傾向がある

一方で問題がある子供はゲームを通して他人と繋がろうとする傾向がある

一見同じ行動だが他人が先か、ゲームが先か、という違いを見ることができる

なぜ問題のある子供が「ゲームが先」になるかと言うと、アイデンティティが確立されておらず、自分がプレイしたゲームと自己を同一化しているからだ

だから誰かがそのゲームを遊ぶことは、自分と誰かが遊んでいるのとほぼ等しい事になるのである

しかし、こうした感性は現代において珍しいものではない「同じ趣味を持って居るから仲間」というのは現代社会のあらゆる場所で見ることができる

だが、健全な考えは、まず仲の良い友達が居て、その友達と一緒に何かをしようなのだ。何かを通さなければ他人と繋がれない人間は、実はかなりヤバい

人間は基本的に「生活」で繋がるものだ。親子にしろ夫婦にしろ、地域の住民にしろ、生活で繋がっている。もちろん趣味もあるが、お金のこと、家事のこと、地域の問題や、仕事のことなど様々な面で複雑かつ濃密に繋がって行くのが人間だ

ところが、現代になって急にそれまで普通だった繋がりを持てない人間が急増してきた

何らかの接続不良の問題を抱えていて、それ自体に求心力のある人気の娯楽を真ん中に置いて、その娯楽に皆でくっつき、ついでに「近くの人間と会話する」のである

人同士で繋がるのではなく人→娯楽←人なのだ

図にするとこうだ

図にするとこうだ

Twitterの極北へようこそ。思考実験や未整理の情報を散らかしているから、使える物と危ない物を区別して持って帰ってね。Amazon amzn.asia/gTe1vFR

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  2. 砂鉄
  3. 2021/04/06 01:40:34 公開
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