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「前に「ごめんなさい、ありがとう...」、@suminotiger さんからのスレッド

前に「ごめんなさい、ありがとう、こまっているので助けてください、が言えるようになるとそこから人生が変わるよ」とツイートしたことがある。

逆に言うと、それがスルスルと出てくる生活をしている、というのはとても恵まれている、安定している、ということなのではないか、と私は思います。もちろん、努力の末にそこにたどり着く方もおられることでしょう。

私は障害のある子を育て、またそんな親御さんたちとつながっていく中で、生き抜くための手段としての温厚さを装うことや腰の低さや「ありがとう」を使うこと、そのほうが生きやすくなることは知っていますし、状況に応じて人にも勧めます。

間が空いてしまったけど続けよう

障害のある子の保護者として配慮を得るために低姿勢に、穏便に、温和なそぶりで話を持ちかけてなるべくこちらの利を多くしようとするようなハックを我々は使うことがあります。

それは、目の前の我が子の利益のためにはそれが妥当だということを肌感覚で知っているからで、それはまさしく今回吹き上がったような、低姿勢で申し入れをしてありがとうを繰り返す障害者が受け入れられやすく、またその逆を張ると叩かれるという現実を如実に反映しているものでもあります。

しかし、現場でそのハックを駆使しながら、ときに「これは諸刃の剣だ」と感じることがあります。こちらが低姿勢でいることで法律や仕組みの上で義務やすべきとなっているような内容も軽くあしらわれるような結果になってしまったり、あの保護者もこんな風にしてくれたらという教育者・支援者側の

感情を左右する要因にもなってしまうからです。実際に現場でそのような愚痴を聞いたこともあります(「お母さんみたいに言ってくれたらこっちもねえ」みたいなね)

私も人の子ですから、尻尾を振る犬は可愛いし、上手に助けを求めてくれる人の方が助けたくなる気持ちはわかります。

今回の件でも医師や支援者、教育者の中からもそのような声は多く上がっているのを目にしました。生き抜くためのハックとして、感謝の意思表示を欠かさず、低姿勢で配慮を求めていくということは私自身が実行し、また息子に教えていることでもあります。間違っていることではない、とは思います。

しかし、忘れてはならないのは、この話題はともすると「そうしない人間は支援しなくても良い」という誤った線引きを生むことになりえます。私が懸念しているのは、そこです。

街ゆくみなさんが路上で困っている障害のある方がいて、それを助けるかどうかに関しては、どうぞ善意で判断していただいても構わない、とは私は思います。避けたければ避ければいい、私人としてその自由は皆さん平等に有していると思います。

ただ、今回の駅のケースのように、また私が日々直面している教育現場のケースのように「障害者差別解消法」で合理的配慮の提供は「国や地方公共団体への義務」と「事業者への努力義務」という形で漏れなく課されています。感情で左右されて良いような話を前提とはしていないのです。

Twitterの私のTLにも、同じように懸念して、どんな人間性の当事者であっても同じ支援を受ける権利があるのだ、と説いている支援者さん方もいらっしゃいます。私も、そうあるべき話だ、と思います。

教育者も、支援者も、駅員も、感情のある人間であることには間違いありません。しかし、それと、管理者や事業者が業務上課せられている責任を組織として放棄して良い、義務を果たさなくても良い、という話は筋が全く違います。

「障害者差別解消法」は対人職に携わる人間全てに関わりのある法律です。平成25年に公布され、平成28年に施行されました。私が初めて知ったのは、施行直前の障害児の親の会で開催された勉強会の中でした。

長く特別支援教育に携わってこられた講師の先生は「待ちかねていた黒船だ」と表現されていました。やっと、障害者・児のニーズが現場で通るようになる、個別のニーズに現場が応じてくれるようになる、話し合いのテーブルについてもらえるようになる、と勉強会でみんなで喜びました。

また、障害者の雇用に関する法律もこの時同時に施行されています。

今回の伊是名さんのケースは、障害者差別解消法の合理的配慮の提供義務と、総務省が提唱する合意形成プロセスについての知識がないと理解は難しいと思います。そのベースがない状態で、自分のそれまでの経験と知識だけで判断してしまっているように見えるご意見が本当にたくさんあります。

また、素人ならまだ仕方ないにせよ、教育関係者や支援者など、この法律を知らないわけにはいかないだろうというお立場の方からも同様の声が上がっていて、驚きを隠せません。

また後日ブログにまとめますが、次男の高校進学に関しての合理的配慮の申し入れのやりとりの中でも、窓口の先生方が、現場ではまだまだ周知が徹底されておらず、自らに義務が課せられていることへの認識が浅い先生方も多くいらっしゃるようにお話をされていました。

私たちが我が子のために丁寧に、時に下手に出ながら申し入れをしていることが、結果的にその認識の浅さを助長させてしまうことになってしまうこともあるんだろうか、と考えることもあります。

正解は私にもわかりません。その場その場でできることをやっていくしかないんだろうとも思います。
ただ、勉強会で黒船だと喜んだ先生からその後「どんどんこの法律を現場にたたき込んでいかないと」というよなことを言われた記憶があります。

私たちが活用しようと意識して動かないと、現場にこういう法律があるって知ってるよ、って持ちかけていかないと、現場での周知徹底はなかなか自発的には進まないから、と。

昨日話題になっていた天声人語の中でも「この20年で現場から亡くなったのは座高測定と蟯虫検査だけ」と触れられていたように、学校現場では人員不足と煩雑な日常業務による多忙が当たり前になっています。

今回の件でJR職員の雇用環境について指摘するご意見もありました。同じようにブラックな環境の事業所や公共団体は他にもたくさんあるでしょう。

その余裕のなさのなか、自ら新しい法律の施行について学び、内部を整えていくことが組織として難しいだろうことは私もわからないわけではありません。

しかし、我々はその法に守られるべき当事者の側で生きているからこそ、せっかく施行されたこの法律が意味をなさないものにならないように、現場で生きて使われるように、忙しさの中で忙殺されてしまわないように、できることをしていく人がいなければならないのかもしれない、とも思うのです。

もちろん「だからもっと忙しくなれ」とは思っていません。先生方の環境も支援者の状況も、駅員さんの負担も、現場で我々やその子たちに対応してくださる方がもっとゆとりのある恵まれた環境で働いていただきたい。それはその方々のためでもあるし、サービスを受けるこちら側にとっても助かることです。

こんなことをつらつらと書いていると、そんな理想論が、とか机上の理論が、とか、現実を見ていない、とか、まぁそんな言葉が飛んできます。ですが、その現実を見た上で私たちが黙ったら、現状が良くなりますか。いつまで黙って待てば先生方の環境は今より良くなりますか。

今回の件で「駅のバリアフリー化は進みつつあるのだから」というご意見も出ていましたが、筋が違います。
「合理的配慮」は個別のニーズに事業者が対応するものを指します。「車椅子ならエレベーターがあればいいだろう」は合理的配慮ではありません。

合理的配慮は、当事者それぞれのニーズを現場に申し入れることができる、それを保証されているところから始まります。行きたい駅まで電車に乗りたいというのも、この授業を受けたいというのも、保護されるべき当事者の大事な声です。(ただしそれがその通りに通るかは別の話です)

そして、その個別のニーズを受けて事業者が実行可能かを十分に検討し、不可能な場合はその理由を丁寧に説明をするプロセスが提唱されています。(詳しくは各自治体などから広報されている資料があるのでご参照ください)

この法律により、ただでさえ多忙な現場にもっと負担が生じてしまうことは事実です。その部分に関しては心から、現場環境の改善を求めます。

しかし「改善されるまで黙っている」ことはできません。その間に犠牲になる当事者が出てしまいますし、改善の過程で黙殺されてしまうことも許されることではないからです。

オットスキー部員。
小学生から高校まで子が4人、あとイシガメとすっぽんとサワガニと川魚。最近老いた黒柴が仲間入りしました。 
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  2. イシゲスズコ
  3. 2021/04/12 07:02:46 公開
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