「ポジショナリティを自己批判って...」、@ishtarist さんからのスレッド
ポジショナリティを自己批判って、要するに上野仕草よね。
人間同士の力関係は、必ずしも属性によって決定される訳ではない。
社会的属性は一つの組織ではない。
「属性」は組織ではない、という当たり前の命題について。
たとえば、「A型の人間が行った犯罪に対して、同じA型の人間はみな反省する必要がある」と言えば、あまりに馬鹿げているとわかるだろう。
それが、なぜかジェンダーや民族という社会的属性では、そうした不条理な言説が罷り通っている。
ある特定の外国人によってもたらされた経験は、その人個人の責任だ。
それを同じ国の人だからというだけの理由で責任を追求したり、場合によっては暴力を正当化したりする。
...それが「差別」なんです。
ポジショナリティってのは差別を正当化する擬似社会理論なんですよ。
「ラトゥールを10回読め」とか言ったら良いのかな?