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「エボシとサンが母娘であるという...」、@nanai_komusai さんからのスレッド

エボシとサンが母娘であるという説がある。それを是として父親を考えると、サンは15才、僕の考察では当時が建武元年(1334年)その15年前となると元応元年(1319年)これは後醍醐天皇即位の年でエボシと後醍醐は関係があったと考えるからサンの父親は後醍醐天皇ということになる、つまりもののけ姫は

エボシとサンが母娘であるという説がある。それを是として父親を考えると、サンは15才、僕の考察では当時...

つまり『もののけ姫』は父と娘と母の戦争ということになり国家レベルの戦争をたったの一家族でやっていることにもなるわけだ。これは不朽の名作の構造だ

この説を補強する証拠は、エボシが娘をモロ(山犬)に向かって投げたということ、つまり捨てたということでなぜ娘を捨てたのか、それは自分を犯した憎い男の子であるからという可能性が大である

エボシが後醍醐天皇と関係を持っていたであろう証拠は、エボシが勅書を女達に見せることである。これは大変な不敬行為であるが天皇と男女の関係にある女ならできそうだし、男から来た手紙を女友達に見せるという行為はいかにも好かぬ男への仕返しという感じがする

また、エボシを犯した天皇が後醍醐であろう証拠は、通常天皇は下賤の者とは交わらないこと、しかし後醍醐天皇だけは下賤の者とも親しく交わり民衆のパワーを自分のものにしようという一種のオカルト思想を密教から得ていた

後醍醐帝が耽溺していた密教の立川流は性交より悟りに至るというセックス教団で密教で言う悟りとは超能力である。エボシは海賊の頭であったらしいのでそれと交わることで自分も強くなれると考えた可能性は高い。

シシ神の首を食えば不老不死になれる、という発想自体が密教の思想である、珍しい生物や初物を食べると寿命が伸びたり病気が治ったりする、すなわち神を食べれば神になれるというわけだ。この発想をしてこれだけの戦争を惹起できた天皇は後醍醐しかいない

後醍醐天皇に密教を吹き込んだのが師匠連である。師匠というのは芸事の先生という意味の前に仏教の師弟がある、孫悟空が三蔵法師のことをお師匠様と呼ぶあれだ、師匠連はその師匠が何人かいて連合しているということ、それが後醍醐のブレーンであり最大の黒幕ということになる

エボシとサンが母娘としてサンの年齢からたたら場にエボシが派遣されて15年が経つということが分かる、15年もの間シシ神の首を取るために森を焼いてシシ神を追い詰めてきた、製鉄も貴重な収入源であろうがついでのこと、師匠連は後醍醐即位の直後からこの計画に巨費を投じてきたというわけ

ジコ坊を頭とする唐傘連は火薬を巧みに使う戦闘集団、その上部組織たる師匠連は真言宗と天台宗の寺社勢力、彼らこそ後醍醐天皇の尖兵となって日本中に天皇の勅書を届け鎌倉幕府討伐を成功させた力となった。この後、南北朝時代に入っても彼らは南朝に従って働き、紀州根来衆や伊賀の忍者の祖となる

唐傘の衆と石火矢の衆は寺社の尖兵だがその出自は捨て子である、捨て子は山門に捨てるものと決まっており社会不安が増大すると捨て子も数も増え結果として寺社は軍隊を持つに至る、彼らは親がいないため寺社こそが家であり神こそが親なので結束力と忠誠心が異様に高い

「ヤマトとの戦に破れ、この地に潜んでから五百有余年…」
蝦夷の村の長老のこのセリフこそ年代特定の手がかり、朝廷の東方戦争で最後にして最大規模の征夷が行われたのは794年平安遷都とわざと同時に行われた、その桓武天皇というのも後醍醐天皇と同じくらい有名な困った帝王なのである

長老のセリフから大体の年代が分かり、即位期間が最低15年はある天皇で密教に心酔し強力な隠密軍団を動かせる天皇となると、もう後醍醐しか考えられず、しかしシシ神の首を取ることに失敗したのだから、この後は凋落すると考えるとこれは建武元年(1334年)に推定される

それまで田舎侍をけしかける程度間接的に敵対していたアサノ公方軍が終盤たたら場に直接攻撃を仕掛けてくる。このたたら場は天皇あるいは寺社の所有物なのでアサノ公方は後醍醐天皇に宣戦布告したのである。これが足利尊氏の挙兵に符合する

アサノ公方軍の兵士はそれまで登場した足軽主体の軍ではなく全員が侍でありそれは裸足の兵がいないことからわかり騎兵は後ろ向きに騎射できるほどの精鋭である。これは坂東武者、足利尊氏の御家人であるとみてほぼ間違いがない

デイダラボッチの大爆発は火山の噴火と捉えられるが1334年に東北で噴火があった記録は見つけられなかった。しかしたたら場のある湖は円形で典型的な火口湖でありその周辺にはいくつもの火山があることが多いので突然の噴火によりたたら場も包囲軍も壊滅したと考えてもいいだろう

後醍醐天皇の建武の新政はすこぶる評判が悪くわずか二年で崩壊、足利尊氏に破れ後醍醐の御代は終わったかに見えたが後醍醐天皇はその後もゲリラ戦を続け天皇が二人いる南北朝時代を拓くことになる、そんなカオスの中エボシもサンもアシタカも東北はむしろ平和になり生きていったと考えられる

めちゃくちゃな父親がいて、犯された母親がいて、捨てられた娘がいて、捨てられた他所の子がアシタカ、これは日本を舞台とした壮大な家族の物語である

続もののけ姫考 おわり

後醍醐の女、父王の軍と戦う

今回のもののけ姫考察は一年以上も仕事ができない講談師の私が、ゲーム作りに本腰を入れるため日本史を勉強し直す必要に迫られこれらの本を読みまくった成果であります。全部声を出して読んだのでヘトヘトになりましたがやはり勉強は一番の近道かもしれません。僕の作るゲームにもご期待ください。

大本の母娘説はこれです

もののけ姫は室町時代の話だと僕も思っていたのだが槍が一つも出てこずに全部長巻(薙刀)なので室町であるはずがないのだ、槍は楠木正成の家来が発明したという逸話が残っており室町時代には槍に代わっているはずなのだ、一つも槍が見られないという所が重要である。刀が全部陣刀なのも鎌倉テイスト

また室町時代でこのように合戦をやってるならばそれは応仁の乱以降の室町でありもう戦国時代と言って良い、この場合田舎侍の軍あるいはアサノ公方軍に一つも鉄砲が見られないのは不自然で、エボシ側も石火矢なんて古いもん使ってるのは不自然極まりないことになる

乙事主が鎮西(九州)から来たという狩人のセリフがおそらくもののけ姫岡山説を誘引したものと思われるがシシ神の森に参集する猪の大群は実は日本中から集まったとも狩人は言っている、全ての猪が九州から来たわけではない、岡山県は蝦夷の村の存在可能地青森県からあまりにも遠い

そして僕は乙事主の援来ルートをこの様に考えた、長駆1000キロをほぼ直線に人間のテリトリー避けつつ五度の渡海をして最短距離でやってきたと、乙事主ならできる

悲しみと怒りにひそむまことの心(もののけ姫の歌)

この映画に登場する、あらゆる階層のあらゆる人(動物も)が、悲しみと怒りを抱えて生きているのだと気付いたら、もののけ姫一生観れます

全てはこの一遍聖絵を知ったことで始まりました。明らかに石火矢衆がいたのです。彼らは犬神人と呼ばれ差別され、被差別こそ極楽に行けると説く一遍上人に動かされてこの内の一人は死んだ上人の後を追って入水自殺したのです

悲しみと怒りに秘そむ誠の心〜のメロディが再生されました

本当についこないだまでなんでどこの馬の骨ともわからない誰かの捨て子がヒロインで姫と呼ばれるのか?差別するわけじゃないがあまりにもキャラ立ちしないことに物足りなさを感じていたのです。岡田さんの母娘説で少しは納得がいったのですが父親を考えてようやく姫と呼ばれるのが腑に落ちたのです。

YouTubeでガンダムの考察動画やっております。よかったら観てくださいね。

ガンダム考察『あなたはシャアを知っていますか?一年戦争編』コム斎チャンネル
@YouTube
より

講談師
2000年旭堂小南陵(現南陵)に入門し旭堂南半球として活動、2006年にガンダム講談を創始、2011年に独立し七井コム斎となる、兵庫県在住
ガンダム講談
ゲーム講談
ガルパン講談
戦争講談
ヒトラー講談
など。伝統芸能と現代文化の融合を探求する。公式サイト『講談師七井コム斎』goo.gl/aUuTF

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  3. 2021/05/25 18:27:22 公開
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