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「戦前は大きかった握り寿司が戦後...」、@ksk18681912 さんからのスレッド

戦前は大きかった握り寿司が戦後小さくなり、その分一人前の数が増えた原因は3つあると考えます。

1.女性の客、子供の客の割合が増えた
2.男性も箸を使うようになった
3.柔らかく握るようになった

さて、なぜ握り寿司の握りは柔らかくなったのでしょうか?

戦前は大きかった握り寿司が戦後小さくなり、その分一人前の数が増えた原因は3つあると考えます。 1....

そもそも寿司が、その長い歴史の中で「柔らかくなり続けてきた」経緯があり、その延長線上で握り寿司も次第に柔らかくなったのだと思います。

まずは、握り寿司の先祖、押し寿司の話をします。

写真は現代の押し寿司の代表例、大阪寿司。

押し寿司は箱寿司ともいい、木の箱に酢飯を入れ、上に具を載せて上蓋で押したものです。

youtube.com/watch?v=d1o6Cd…

圧力をかけるので、酢飯は握り寿司よりも強く固まっています。これが握り寿司に変化する過程で、柔らかくなったのです。

握り寿司が登場する前の大坂や江戸では、この押し寿司を屋台のファストフードとして売っていました。

画像は「繪本江戸爵」(喜多川歌麿)から。

天明期の日本橋の押し寿司屋台を描いたものです。

握り寿司界のレジェンド、華屋與兵衛。

よく「握り寿司は華屋與兵衛が発明したもの」と言う人がいますが、これはガセネタと考えていいです。

まず、與兵衛が握り寿司を発明したという江戸時代の資料が存在しません。

”ところが、どの史料をあたっても、与兵衛が握りずしを「発明した」とは書かれていない。”(『すしの貌』 日比野光敏)

握り寿司與兵衛発明説というのは、明治時代になって根拠もなく広まった俗説なのですが、これを唱えていた一人が、與兵衛のひ孫小泉迂外

雑誌月刊食道楽明治38年5月号において、小泉迂外は次のように主張します

”握鮓は文政七年兩國なる華屋與兵衛(與兵衛鮓の家祖)出でて、之を傳へたのである。”

ところがその5年後の著書『家庭鮓のつけかた』において、小泉迂外は與兵衛発明説を撤回します。

與兵衛以前に握り寿司が存在したことを認めたのです。

與兵衛以前の握り寿司は失敗したとか、芭蕉は俳句の発明者ではないが大成者であり(小泉迂外は歌人)、與兵衛も発明者ではないが大成者であるとか未練がましいことを言っていますが。

どうも5年の間にぐうの音も出ないほどに論破されたようです。

閑話休題。

與兵衛の子孫には『またぬ青葉』という家伝書が残っており、そこに握り寿司の原初の姿が描かれています。

『またぬ青葉』によると、握り寿司はもともと、握った後に箱に入れて、その上から蓋をかぶせて重石を載せて、3-4時間押したといいます。

このように、握り寿司は押し寿司の一バリエーションとして生まれたのです。

そして、箱に入れて押すことをやめた後も、握り寿司は押し寿司の特徴を受け継いでいました。

明日に続きます。

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  3. 2021/05/31 04:59:45 公開
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