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「かつて東京最古を誇っていた「銀...」、@ksk18681912 さんからのスレッド

かつて東京最古を誇っていた「銀座すし栄」

三代目店主倉田華太郎(明治29年生まれ)は、昭和の初めまでは生のタネはほとんど使わなかったといいます

トロは脂で醤油をはじくのでヅケにできないという人がいますが、「すし栄」ではトロも醤油につけてから握っていました

すし栄 本店 (東銀座/寿司)

すし栄 本店 (東銀座/寿司)

★★★☆☆3.01 ■創業嘉永元年(1848年)現存する最古の江戸前寿司処。 ■予算(昼):¥1,000~¥1,999

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”イカも酢につけ、カジキマグロは氷でかこい、色の変るものは煮付けておく。トロは醤油タレにつける。元来が保存食のすしは、昭和初年の頃もナマもののタネは殆ど使わなかった。”(『江戸っ子神田っ子』)

吉野寿司三代目、明治39年生まれの吉野昇雄によると、物心がついた大正時代初めころには”純然たる生のタネはなかったといっていい”(『鮓・鮨・すし すしの事典』)。

タネは加熱するか、酢か醤油につけてから握っていました。

握り寿司がいつから生のタネを使うようになったのかは不明ですが、おおよそ大正時代ぐらいまでは、加熱したり、酢や醤油につけて保存性を増したタネが主流だったようです。

もっとも、握り寿司の歴史の研究家でもある吉野昇雄は、江戸時代から生のタネを使っていた可能性があるといいます。

冷蔵技術が未発達な江戸時代においても、魚は生で食べられていました。

浮世絵「見立源氏はなの宴」には、右に桶に山積みした握り寿司、左にガラスの簾にのせた刺身が描かれています。

赤身はおそらく鮪。鮪は生のまま長時間常温で保存できるという特色があり、刺身にしやすい魚でした。

ではなぜ生のタネが主流にならなかったのかというと、握り寿司が押し寿司から生まれた寿司だから、と考えます。

現在の代表的押し寿司、大阪寿司においても生のタネは使いません。加熱するか、酢にとおしたタネを使います。

もともと押し寿司は、一晩とか一日置いてその熟成した味を楽しむもの。

なので、加熱したり酢漬けにして保存性を増したタネを使っているのです。

握り寿司において生の魚が主流ではなかった理由は、押し寿司の遺伝子を継いでいたからだと考えます。

ばら寿司・ちらし寿司も、もともとは加熱したり酢漬けにして保存性を増したタネを使っていました。

ばら寿司・ちらし寿司も、握り寿司と同じく押し寿司から生まれたからでしょう。

寿司の歴史研究家である篠田統や日比野光敏は、ばら寿司・ちらし寿司は「おこし寿司」から派生したと考えています。

おこし寿司は、押し寿司を木べらで「起こし」、バラバラにほぐしたものです。これがばら寿司・ちらし寿司に発展していったというのが彼らの考えです。

さて、握り寿司は昭和時代のはじめあたりから、次第に生の魚を使う割合が大きくなっていきます。

その背景には、関西の影響があったと考える人もいます。続きます。

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  3. 2021/06/02 05:16:11 公開
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