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「いろいろRTしましたけど、私もか...」、@bokukoui さんからのスレッド

いろいろRTしましたけど、私もかねてから疑問に思っているのは、「表現の自由戦士」と揶揄されるような人々が「表現規制だ!」と騒ぐような近年の案件はほぼすべて、コラボなどと称して「萌え」表現を他の場所に持ち込んだ際のトラブルであって、もともとのアニメやゲーム自体への文句ではないのです。

これは「表現の不自由展」が、不当な脅迫行為で会場が使えなくなって、作品を展示できなくなるというのとはレベルが全然異なります。別にマンガやアニメやゲームそのものには批判がなく、コラボのやり方がまずいんじゃないの、という話なのに、それを「表現規制だ!」と決めつける。

まあそりゃ、ネットは広いから中には突拍子もない意見を述べる人もいるかもしれません。しかし、ある程度の影響力や社会的地位のある論者で、そんなことをいう人は、私には記憶がありません。なのになぜ、そんなに被害妄想を暴走させるのでしょうか。

一昨年の日赤ポスター問題をめぐって私にメールを送り付けてきた儀狄氏(ツイッターのアカウント復活したらしいがブロックされてる。苦笑)は、「コラボする権利」は「オタクが勝ち取ったもの」などとを主張し、私を困惑させました。⇩の記事の1~4で議論してます。

日赤ポスター問題をめぐる往復書簡(まとめ) | 筆不精者の雑彙

日赤ポスター問題をめぐる往復書簡(まとめ) | 筆不精者の雑彙

※本記事を往復書簡のトップに置くため、日時を実際の投稿時間とは異なるものにしてあります。 さる10月、日本赤十字の献血事業の宣伝ポスターに、『宇崎ちゃんは...

bokukoui.exblog.jp

私は儀狄氏に、「勝ち取った権利」というのはおかしい、コラボするしないは営業の自由の一部にすぎず、それを「権利」などと主張するのは、自分の趣味を他人に押し付ける品のない行為だ、と批判し、氏もそれ以上は反論してきませんでしたが、これは氏に限った謬見ではないわけですね。

考えてみれば「コラボする権利」というのを「オタク」が叫ぶのは全く持って筋違いで、コラボする主体は企業や公的機関と著作権者の間の話であって、「オタク」は部外者です。それをなんで、「自分の権利だあ!!」とか勘違いしてしまうのでしょうか。

ちょっと前ツイ、日本語が変だな。すみません。「間の」を取ってください。ともあれ、「コラボする権利」などという、どう考えてもおかしな「権利」を主張する一部「オタク」の思考は謎です。そんなに「コラボ」が好きとは、ナチスの犬にでもなりたいのかと混ぜっ返したくもなります。

RTしたご指摘も参考に考えれば、自分の好きなものが社会で「認められた」ことを、自己承認されたかのように錯誤しているのではと思われます。それ自体思い違いなのですが、さらに「公的な場にこれは不適切では」といわれると、「俺を馬鹿にするのか!」と切れる、二重の思い違いをしてしまっている。

公的空間に自己の好む表象が溢れることを、まるで「勝利」というか「占領」のように捉える心情を解明するには、やはり北田暁大『趣都の誕生』を参照すべきなのか。

趣都の誕生 萌える都市アキハバラ

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まったく余談ですが、一文字違いの『趣味の誕生』という本があって、こっちはデパートの文化史的研究として古典的な本です。版元はフェミニズム関係の本も多く出している勁草書房ですが、デパート研究はフェミニズムとも深い関係がありますね。

趣味の誕生―百貨店がつくったテイスト

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話を戻して、『趣都の誕生』の著者は森川嘉一郎さんでしたね。失礼しました。で、一部の「オタク」がなんで、コラボだのなんだのを自分の手柄のように思い違いしてしまうか、という問題をもうちょっと考えてみたいと思います。私はそれは、コンテンツへの姿勢に問題があるのだろうと考えます。

「オタク」であることをアイデンティティにしたい(その他に人に言えそうなことがない)という人が、そのために作品を十分に鑑賞するだけの手間をかけず、安直にアイデンティティを満たそうとする場合に、そういうことが起こるんじゃないか、それが私の考えです。

アニメやゲームなどの「オタク」は、基本的に大量生産される作品の消費者です。そんな消費者として自己をアイデンティファイするには、他者との差異化を考えなければなりません。そこで鑑賞眼を磨き作品に向かう独自の姿勢を作る必要が出てきます。消費者として自己を確立するのは実は大変なのです。

もちろん最初は誰だって初心者ですし、若いうちはそんなこと考えなくても、仲間とわいわい盛り上がってるだけで楽しいと思います。自分の好きな表象が社会で拡散することは、盛り上がりを一層楽しくしてくれるでしょう。でもやがて、それでいかなくなる日が来るのではないでしょうか。

いまどきの表現を借りれば、「持続可能なオタク趣味」のためには、自分なりの評価軸を持つ必要があるでしょう。そのためには、逆説的ですが、狭義のオタク趣味以外のことにも触れる必要があると思われます。それを、ネットの刹那的な盛り上がりにばかり人生を費やした人々は、やってこなかったのです。

かくして、若さのエネルギーに任せた盛り上がりだけで楽しめた体力が尽きると、行き詰まりが見えてきます。自分の趣味の「良さ」を、自分で深化させることで達成できない(自分の趣味に自信がない)ため、公的空間に進出したことを以て自分の趣味を(ひいては自分を)正当化する、そういうことでは。

だから「表現の自由戦士」と揶揄されるような人々が、「表現規制だ!オタク叩きだ!」と叫んでいるのは、つまり「俺をバカにするな!尊敬しろ!」ということなのです。しかし、趣味の分野で十分な蓄積をしてこなかったのであれば、そこで他人の褌で尊敬されようというのは、そりゃ自己責任でしょう。

なお、自分は別に大したことをしていないのに、「オタク」であることを以て威張りたがるのは、「クールジャパン」が話題になったり、「アメコミはポリコレでダメになった!日本の漫画の多様性!」という定番のガセネタで盛り上がる時などにも、よく観察されます。偉いのはお前じゃない。

この、何かそのための努力をしているわけでもないのに、好き勝手やっていながら他人から認められたい、という感覚、都合の良い自己承認欲求というのは、現代社会の諸問題を考える上でいろいろと手掛かりになるように思います。

なおここで、「認められたければ努力しろなんて、シバキ主義だ!」という声もあるかもしれませんが、仕事や勉強ではなく趣味であるならば、努力はむしろ楽しいことでしょう。それですら面倒がるようでは、趣味を楽しむこと自体できないのではと思わされます。かくしてガチャを回すだけ。

まったく意味不明な難癖で、はなはだ困惑します。何か私が「トラブル」を起こしていますか? 意見を述べること自体を「トラブル」というなら、それこそ表現の自由の抑圧でしかありません。

その他、この一連のツイートへの反応については、以下のツイートから論じています。

鉄道趣味が嵩じて近代日本史の研究者になってしまいました。電鉄や電力、生活文化などの歴史に関心があります。麺類やボードゲームなども好きです。歴史もエロも無修正。普遍なるもの(世界精神のかけら)に敬意を持っていきたいと思っています。

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  3. 2021/07/11 23:35:19 公開
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