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「なぜ日本のリベラルはかくも幼稚...」、@NIWA_KAORU さんからのスレッド

なぜ日本のリベラルはかくも幼稚になったのか ~自由の危機だ!物言えぬ社会!という言葉こそがむしろ自由を抑圧する~|丹羽薫 @NIWA_KAORU #note

彼らリベラルは、自由を深く愛しているが、それゆえに必然としてリベラル(自由主義)ではありえないというお話です。

なぜ日本のリベラルはかくも幼稚になったのか ~自由の危機だ!物言えぬ社会だ!という正義の怒りこそがむしろ自由を抑圧する~|丹羽薫|note

なぜ日本のリベラルはかくも幼稚になったのか ~自由の危機だ!物言えぬ社会だ!という正義の怒りこそがむしろ自由を抑圧する~|丹羽薫|note

さても面妖な話である。 今日も今日とて「政治を“語れない”」「こんなの日本だけ!」の声がきこえてくる。大坂なおみ騒動の時から特に強まったような気もするが、たとえばこんなのだ。 清春キッパリ「こんなの日本だけ」 ミュージシャンが政治を〝語れない〟根本的な要因 – 東京スポーツ新聞社  ミュージシャンが政治を語るのが「NO」なのは日本だけ?  アーティストの清春(52)が先日、都内で行われたトー...

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日本のリベラルは、「政治を“語れない”」「こんなの日本だけ!」とぼやく。何十年も前から繰り返されているような気がするが、特に大坂なおみ騒動の時から特に強まった。たとえばこんなのだ。

清春キッパリ「こんなの日本だけ」 ミュージシャンが政治を〝語れない〟根本的な要因 – 東京スポーツ新聞社

 ミュージシャンが政治を語るのが「NO」なのは日本だけ?  アーティストの清春(52)が先日、都内で行われたトーク番組「MUSIC&TALK ジョー横溝チャンネル」(ニコニコ生放送)にゲスト出演した。...

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清春氏は語る

>「その時にあるものに寄り添っていたらダメ、美しくない」「主流なものはロックではない。僕は反対側にいたい」

そこには自由意志がなく、いかにも「反体制という体制主義者」の言葉だ。いまやSNSの世界ではこうしたスタイルとしての反体制の言葉が急速に陳腐化してしまっている

このように、この言論の自由が保障された日本で、「自由な発言ができない!」「物言えぬ社会!」「戦前の空気!」と悲憤慷慨するのはなぜなのか。彼らの心理機序と、彼らが、一体どのような社会をもたらそうとしてるのか、それについて徹底分析していく。彼らの幼稚の精神は全体主義をもたらすのだ

彼らは自己の適当に思いついた政治主張がひたすら賛美翼賛されていないと許せない人なんじゃないだろうか。そうした幼稚な精神をコトコト煮詰めて、煮こごりになったように凝縮しているものとして、先日、こんな怪書が、この世にまろびでてしまった。

そしてこの装丁、「ブックデザイン史に登録されるべき一冊」「表紙みただけで、“息苦しさの正体”が一目瞭然にわかる」とか称賛された。もちろんアイロニーとしてだ。ずらずらと連なるいかにもな執筆陣の名前……、「つまり、私達が正体だ」と自己紹介する自虐ネタにみえてしまう。

書を開けば「“あらゆる「自由」が失われつつある中で”“理不尽な権力の介入に対して異議”と書いてある……何言ってるんだ。ここは、香港ですか?という話である。この「自由」にはなんの客観的基準もない。主観的な自由なのである。当たり前だが本当に「自由が危機」ならこんな本が発行できるわけがない

なぜ彼ら「自由の危機」を叫ぶ人々は、自分たちが、不自由であり、息苦しいと感じるのか。まったく内省しない。ひたすら、他の人間が悪いのだと決めつけ、責任を押し付ける。その叫びのひとつとして清春氏の「こんなの日本だけ!」もある。それを幼児性といわずなんとおう。

この「自由の危機 息苦しさの正体」という本を生み出したのは、あの“報道の自由ランキング”でどんどん日本の順位が下がっていく謎現象と、全く同じ構造がみてとれる。なぜ安倍政権になってから、「急速に物言えぬ国!」「恥ずべき事態だ!」となどと左派リベラルが論陣をはったのか。

そもそも論として、2016年の日本の報道の自由ランキングなど、下がりに下がって世界で72位となってしまった。だが、その時、香港は69位だった。リアルに中共によって言論弾圧が進行中の香港よりも日本のほうが自由が低いランキングという時点で、単なる感じ方のランキングにすぎないと証明した。

このランキングは多少の客観的基準もあるが、基本的には、当該国の報道や言論関係者等が「どう感じているか」というアンケート結果にすぎない。すなわち、報道の自由度ランキングではなく、「報道が自由でないと思いたがるアレな報道関係者や言論人が多い国をあぶり出すランキング」にすぎなかったのだ

単なる主観を訊く調査結果は、実状と正反対の結果がでることがよくある。世界幸福度調査なんかもそういう傾向がある。豊かで恵まれ、未来への夢一杯の生活をしている人たちほど、「自分たちはまだ幸福ではない」と考えたり、将来に希望がない人たちに限って「私達は(今)幸せなんだ」と考えたりもする

報道の自由ランキングにしたところで、「あまりに言論が自由すぎる」国ほど、見果てぬ夢をもとめて「こんなもんじゃ全然自由が足りないよ!」「言葉がだせないよ!息苦しい!」と言い出す可能性だって高いだろう。要するにわがままに育てられた子供が、いつまでも現状に満足せず足るを知らないのと一緒

まして今「自由の危機」を叫ぶ人々は、1960年あたりの単純な世界観から、全く“アップデート”されていない。現実ではなく、ヒロイックに“権力”と戦っている自分たちの「願望」を投影しようとした結果なのではないか。「僕たち(私たち)が不自由に“感じる”のは、権力が悪いんだ!」といったものだ。

だが残念ながら、実際に、彼らを抑圧していたものは「国家権力」でもないし、もちろん「言論統制」でもない。あえていえば、彼らを取り巻くSNSをはじめとする“ネット世論”の無数の反論にすぎない。なんでそんなこといえるのかといえば実は「自由の危機」なる本に、実際にそう書いてあったのだ(呆れた

呆れた事実は、この『「自由にいいたいことがいえない」「息苦しい」と感じる理由は、SNSのおかげで、それこそ異論反論が可視化されて、今までのように褒めそやされていた人が、「こいつらの言ってることを聞いているとバカになる」とバレてしまったということなのだ

実際、この『「自由」の危機』の執筆者陣はかなりの割合で炎上案件を抱えていて、たとえば平田オリザ氏の「製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たちは」なんかが典型的だが、ボクちゃんたちだけを特別扱いで甘やかしてほしい」という幼児性

たとえば平田オリザ氏とか、それこそ内田樹氏とか、彼らの言葉はまさに「反体制的な言葉こそが、体制的なものとして、人々に嫌われるようになった」そういう実例。自業自得で炎上したトラウマが蘇り、今までのように適当に生半可な発言をしようとして発話を躊躇するのが息苦しいの正体にすぎない

もへもへ氏の指摘であるが、むしろこの「自由の危機」の執筆陣、出版新聞等のマスコミに選別された側という特権性を利用して、“俺たちの言論の自由”を謳歌していた人たちというのは示唆的だろう。かつて文化人は、メディアで一方的に自己の主張を垂れ流すことができた

しかし、むしろSNSのような言論プラットフォームが存在しない時代のほうが、大企業マスコミに選別された言論人しか言論拡散手段がないので、言論の自由がない。「言論の自由」というのは、「自分がどんなアホなこといっても批判されず好き放題できる権利」ではない。

逆にリベラルな言論人が、なにかアホなことをいっても全肯定状態。「さすがです!」「おにーさま!」「神!」「一生ついていきます!」とカリスマ扱いされて、なんら異論がでてこないのは、むしろ言論が不自由な状態、いわゆる翼賛体制というやつではないか。

現在のリベラルとは、かつて文化前衛としてチヤホヤされた体験が忘れられず、こうした大人になる契機をうしなわれ、永遠に幼児のような唯我独尊状態にとどまりたいというナルシスティックな欲望にとりつかれている。彼らは自由を強く愛するゆえに自由が理解できないのだ。

象徴的なのは、トランプや関係者がSNSで永久凍結されたとき、リベラル勢は「ばーかばーか。当然だあ」と大喜びだった。「報道の自由ランキングがー」「知る権利こそ民主主義」とか日本で騒いでいたのは要するに「自分たちが権力側になったら言論封殺したい」という感情の裏返しだっと証明したわけだ

「自由の危機」執筆陣の内田樹などトランプの永久凍結に「彼が悪いんで当然だね。」という態度だったし、もちろん執筆陣のひとり津田大介氏などは、「なんでもっと早くBANしなかったんだ!」と逆の意味でTwitter社を攻めたのだった。ここから彼らが求めている自由とはいかにズレたものかよくわかる

実際に津田大介氏など、今までは「表現者が政治的発言をして何が悪い」といってたくせに。つるの氏が「パクチー盗まれました。犯人は“日本語わからない”の一点ばりでした」とツイートしただけで、怒り狂い彼が過去に俳優として出演していただけの別個の作品ウルトラマンを毀損する仕草をはじめたのです

こんなことをされては、うかつに俳優は政治的に読み取られる可能性がある発言がしにくくなる。それこそ、「日本は息苦しい」「日本では政治を語れない」ということになるのではないか。まさに津田大介氏という「自由の危機」を訴える人物こそが、自由を抑圧しているわけである。

皮肉な意味で日本のリベラルは確かに、誰よりも純粋かつ一途に自由を愛している。むしろ愛しすぎている。しかし彼らにとって「自由」とは「自己のパフォーマンスを無制限に拡大する」ことであり、リベラリズムが理解できてない。なぜそうなってしまうのか、SNS上の自由を考える決定論として書きました

なぜ彼らの自由は抑圧的な形をとるのか。サンデルは「自由は正義の原理になりえない」といっている。ところが日本のリベラルは正義という義憤で世の中を殴るという行動様式しかとれない。彼らが追求する自由も、結局は「正義としての自由」である以上、必然の帰結なんですよね

なぜ日本のリベラルはかくも幼稚になったのか ~自由の危機だ!物言えぬ社会だ!という正義の怒りこそがむしろ自由を抑圧する~|丹羽薫|note

さても面妖な話である。 今日も今日とて「政治を“語れない”」「こんなの日本だけ!」の声がきこえてくる。大坂なおみ騒動の時から特に強まったような気もするが、たとえばこんなのだ。 清春キッパリ「こんなの日本だけ」 ミュージシャンが政治を〝語れない〟根本的な要因 – 東京スポーツ新聞社  ミュージシャンが政治を語るのが「NO」なのは日本だけ?  アーティストの清春(52)が先日、都内で行われたトー...

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最後のほうは「正義と自由は相性が悪い」という話に始終します。なぜって?「自由を求めるとは非物語的で、正義のように一瞬で突き動かす人間感情ではない。単なるフェアネスな態度であり、それ以上でもそれ以下でもないから」です。リベラルには永久に理解できないかもしれんことを書いてみました。

いつも通り、一つの区切りのいいところまで無料でよめるようになっています。おもしろかったらスキと拡散ご協力お願いです。というか最近、かなりつらいことがあって哀しくて哀しくて、毎日物理的に心臓が痛くてたまらないのですが、それでも必死にかいたニワカ君を応援しようw

ニワカは相手にならんよ!
昔はネトウヨ四天王とかやってました。今は、愛と正義の美少女戦士です。

喧嘩は売るが売られた喧嘩は買わぬ。
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  2. 丹羽薫(ニワカちゃん)
  3. 2021/07/14 09:01:40 公開
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